高瀬家資料館

Takase Historical Museum Garden, Kiso, Nagano

国指定史跡“福島関所”に隣接。日本遺産“木曽路はすべて山の中”のフレーズを生み出した近代の文豪・島崎藤村も度々訪れた旧家と木曽谷の風景が美しい庭園。

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高瀬家資料館について

「高瀬家資料館」(たかせけしりょうかん)は中山道六十九次37番目の宿場町・福島宿の『福島関所』に隣接する古民家/歴史資料館。江戸時代には代々関所番をつとめた家柄、近代には明治の文豪・島崎藤村の縁戚として作品の舞台にもなりました。各種資料の展示のほか、庭園を鑑賞することができます。

JR木曽福島駅からは徒歩20分程の高台部、国指定史跡『福島関跡』に隣接する高瀬家。そのルーツは九州・肥後国の豪族/守護大名・菊池氏にあるそう。菊池則澄を祖として、菊池家が没落後に「高瀬」姓に。江戸時代初期に木曽に移住し、以来木曽代官・山村家(→『山村代官屋敷庭園』)に仕え当地で御側役・砲術指南役・勘定役など様々な役職を歴任しました。

また江戸時代には「奇應丸」の製薬業も営み、奇応丸は徳川家へ献上する程にもなりました。かつて木曽福島駅に掲げられていたという大看板なども館内に展示されています。

そんな木曽の名家の一つだった高瀬家には島崎藤村の姉・園の嫁ぎ先にもなります。藤村もたびたび訪れ滞在し、藤村の小説『家』ではその舞台に。日本遺産『木曽路はすべて山の中』の元のフレーズ(木曽路はすべて山の中である)は島崎藤村の作品から取られたもので、この高瀬家は非文化財ながら日本遺産の構成文化財には選ばれています。

現在残る建築は、昭和2年(1927年)に木曽を襲った大火の後に再建された昭和初期の建築。特に谷の方から見上げる、コンクリート造の長屋門+蔵が特徴的(で、当時はコンクリートの方が最先端で珍しかったのでは)。

ツツジやサツキの刈込み主体の回遊式庭園があります。展示されている「大火以前の間取り図」を見ると建築がもう少し広く、「薬所庭」が片隅にあった程度のようなので、現在の広さの庭園となったのは昭和の再建以降。江戸時代にルーツを持ちながら昭和の木曽谷の山々の風景/借景が美しい。重森三玲の庭園『興禅寺庭園』を訪れた後はぜひ福島関所とこちらの資料館にも立ち寄ってみて。

(2024年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR中央本線 木曽福島駅より徒歩20分弱
木曽福島駅より路線バス「上町」「関町」バス停下車 徒歩3分

〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島4788 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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