御花・立花氏庭園“松濤園”Ohana / Tachibana-shi Garden, Yanagawa, Fukuoka

江戸時代“水郷柳川”の城下町を治めた柳川藩主/伯爵家・立花氏が明治時代に造営した洋館/近代建築と大名庭園。国指定名勝。

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御花・立花氏庭園“松濤園”について

「柳川藩主立花邸 御花」(やながわはんしゅてい おはな)は“水郷柳川”で知られる城下町・柳川の藩主を江戸時代を通して務めた立花家の御屋敷をルーツとする複合文化施設。庭園“松濤園”が「立花氏庭園」として国指定名勝であるほか、ホテル、料亭“集景亭”、立花家史料館、結婚式場“対月館~Over The Moon~”等として運営されています。

2022年2月に約6年ぶりに水郷柳川を訪れました。この庭園も6年ぶり!ちなみに前回訪れた6年前には“対月館”の2階から見下ろす形で庭園を見学させていただけたのですが、今回はできず。見学可能範囲が少し変わったみたいですが、ここでは2階からの眺望も紹介。

南北朝時代〜室町時代には戦国大名・大友氏に仕える武家/重臣だった立花氏。桃山時代、立花宗茂豊臣秀吉の九州征伐で活躍したことから柳川の領地を与えられ、(関ヶ原の戦いの後に陸奥国棚倉藩に入った約15年間を除き)約250年間柳川藩主を務めました。

“御花”のルーツとなる立花家の別邸が造営されたのは江戸時代中期の1738年(元文3年)、五代目藩主・立花貞俶の代。やがて柳川城の二の丸(=生活の場)としての機能も兼ねたお屋敷になり、元々この場所が“御花畠”と呼ばれていたことから“御花”と呼ばれるように。

明治時代には伯爵となった立花家。明治維新後には御花が本邸となり、立花伯爵家14代目・立花寛治によって1909年〜1910年(明治42〜43年)に現在は国指定名勝の『松濤園』と庭園を眺める御殿風の“大広間”“御居間”、ソテツが植わった中庭を挟んで近代建築“西洋館”などが造営。
そして戦後に柳川へ戻った16代目当主・立花和雄、文子夫妻によって旧伯爵邸を活用した料亭旅館“御花”が創業され、今日には柳川の観光拠点となっています。

『江戸時代に作庭された大名庭園』ではないのだけれど、旧大名家の屋敷の庭園であり、そのスケールも“”と言って違和感はない広大な池泉鑑賞式庭園“松濤園”。大海を表現した池の中には100近い多数の岩島が、池の周囲には無数のクロマツが植栽された格式の高さを感じられる庭園。
江戸時代の大名庭園ほど“築山”を目立たせていない、低い視点からの眺望が重視されているのがこの庭園の特徴でもある。また池の水は『戸島氏庭園』と同じく柳川の街に張り巡らされた“柳川城堀”の水が引き入れられています。

で、文化財の『立花氏庭園』としては松濤園だけではなく敷地全体(7,000坪)が指定範囲になっていて(なのでソテツが主体の中庭や敷地東部の“東庭園”も国指定名勝)、国指定重要文化財でもおかしくない大広間・御居間・洋館は建築としては非文化財というのが御花の特徴的なところでもある。

現代の“御花”ではそんな“重要文化財級なのに非文化財”の100畳もある大広間や洋館をパーティーや結婚式・披露宴会場として利用することも可能だそう。

2021年には山Pこと山下智久さんのオンラインライブの会場になったことも記憶に新しく(→メイキング動画)、東京・京都以外の国指定名勝クラスの文化財庭園が舞台になったことはめっちゃ驚いたけど快挙と言えると思った…。(蓮沼執太フィル×『旧浜離宮庭園』、haruka nakamura ×『清水寺成就院庭園』など他にもあるにはある)
御花に限らず日本庭園ってきっと日本人のアーティスト/クリエイターにとっても刺激的な場所だと思うので、良い事例として認識されたらなぁと。

最後に、『立花家史料館』では大名・立花家が所蔵した美術品・工芸品等も鑑賞できたり、旅館『松濤館』では“旧大名屋敷に泊まる”という日本中で探しても稀有な体験ができる。柳川、まだ行ったことがない人が居たら強くオススメ!

(2013年11月、2016年4月、2022年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

西鉄天神大牟田線 西鉄柳川駅から約3km(駅にレンタサイクルあり)
西鉄柳川駅から西鉄バス「御花前」バス停下車 徒歩3分
その他、佐賀空港からリムジンタクシー等もあり

〒832-0069 福岡県柳川市新外町1 MAP