
明治時代の創業時から残る日本庭園がホテル名に。明治天皇/現在の天皇・上皇陛下はじめ皇室御用達、北原白秋/藤井フミヤなど地元の文化人ゆかりの老舗ホテル。
萃香園ホテル 日本庭園について
【宿泊など施設利用者向け】
「萃香園ホテル」(すいこうえんほてる)は福岡県久留米市の明治時代に創業の老舗ホテル。江戸時代には久留米藩主・有馬家の鷹匠屋敷があった場所に開かれた茶房『鶴盟館』がそのルーツで、ホテル名の由来でもある日本庭園“萃香園”があります。ホテルは明治天皇や現在の天皇陛下、上皇陛下をはじめとする皇室御用達、また現代には地元出身の藤井フミヤさんゆかりのホテルとしても知られます。近年では『秀吉の書状』が本物と鑑定された事でも話題に。
『ホテルマリターレ創世 久留米』とともに、日本庭園のある久留米のホテル…として訪れたかった場所。マリターレが昭和の名作庭家が手掛けているのに対し、こちらは江戸〜明治時代からの歴史を持つ庭園!2024年秋に初めて利用しました。
その歴史について。JR久留米駅・西鉄久留米駅のほぼ中間地点、バイパスにほぼ面した立地の萃香園さん。江戸時代、この地には有馬藩鷹匠屋敷があったのだそう。
創業は1882年(明治15年)。創業者・川村安次郎の父・川村市左衛門は久留米藩で「大膳職」(食料調達などを司る役職)をつとめたお家柄。その背景を活かし?この地に茶房『鶴盟館』を開き、昭和時代中期までは久留米を代表する高級料亭として県内外の要人を迎え入れました。
「萃香園」の名へと変わったのは創業から5年後の明治20年。現在も残る庭園を鑑賞した中国経済使節・王治本が《人・萃(つど)い・花香る園》“萃香園”と命名。当時の共同経営者の薦めもあり屋号も“萃香園”へと改められました。
明治時代(明治30年代)には初代内閣総理大臣・伊藤博文も萃香園を訪れました。その際の「萃香園」の留書がかつては玄関の額に用いられ、現在も館内に展示されています。
そして前述通り、皇室御用達にも。1911年(明治44年)の明治天皇を皮切りに、昭和時代〜平成時代には現在の天皇陛下、上皇陛下(いずれも皇太子時代)、秩父宮雍仁親王、閑院宮載仁親王、『東京都庭園美術館』でお馴染みの朝香宮殿下(鳩彦王?孚彦王?)、秋篠宮殿下がご滞在。
そんな要人とともにホテルの歴史に名前を刻んでいるのが久留米市出身の藤井フミヤさん。チェッカーズ時代の平成初期、この萃香園の宴会場・ブライダル施設で結婚式・披露宴を挙げられました。(萃香園はホテル利用以上に宴会・ブライダル利用で地元では親しまれています。)
料理料亭にホテル業も加わったのは1971年(昭和46年)。近年にもリニューアルした客室は広くてきれい(語彙力)。なのですが、時期・曜日によってはリーズナブルに宿泊できます!
庭園について。ホテルの北側に心字池を中心とした池泉回遊式庭園があります。明治時代の創業時の作庭なのか、江戸時代の有馬藩鷹匠屋敷の時代から残るものなのかははっきりしないのですが、園内には「黒木の大藤」の枝分かれで樹齢600年とも言われるフジの藤棚もある、歴史ある庭園には違いなく。
写真の通り、秋にはモミジが美しく、そして春には樹齢100年近いと言われる桜(ソメイヨシノ)など四季の花木が彩る庭園。
なおホテル棟から向かって左手側の“みどりの滝”は1992年(平成4年)に新設されたもので、ところどころ時代の変化を感じる箇所もありますが、中央の石橋は古写真にも映り込んでいます。現在ホテル棟がある位置にかつては懸造りの和風建築が並び、その背後にかつては耳納連山も眺められたとか。(現在もホテルの客室からは耳納連山の眺望が楽しめます)
庭園の一角にある料亭・離れ『紫雲筵』の並びには、地元・筑後地域出身の詩人・北原白秋が長期滞在した部屋を保存している「白秋の間」も。
ここまでも様々な歴史上の有名人の名前を挙げてきましたが、近年はホテル所蔵の『羽柴秀吉・丹羽長秀・池田恒興 連署書』が人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で本物と鑑定されたことでも話題に。この連署書以外にも創業者・川村安次郎がコレクションした古文書・お軸が館内で展示されています。
東京や京都に負けず劣らず高騰著しい福岡市のホテル…少し離れた場所でも、という方で歴史好きな方には萃香園はオススメ!
(2024年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR九州新幹線・鹿児島戦・久大本線 久留米駅より徒歩20分
西鉄天神大牟田線 西鉄久留米駅より徒歩20分強
JR久留米駅・西鉄久留米駅より路線バス「六ツ門・シティプラザ前」バス停下車 徒歩10分
〒830-0013 福岡県久留米市櫛原町87 MAP
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