久留米藩主・有馬家のお殿様が眺める為に作庭された耳納連山の借景が美しい庭園。久留米市指定名勝、御成間も福岡県指定文化財。
上野家庭園について
【要事前連絡】
「上野家庭園」(うえのけていえん)は久留米藩主・有馬家も訪れて眺めた江戸時代後期の庭園。唯一の久留米市指定名勝の庭園で、庭園の一角に残る建築も『上野家住宅御成間』として福岡県指定有形文化財となっています。見学には要事前連絡。連絡先は久留米市のホームページから文化財保護課にお問合せください。
2021年末に初めて訪れました。時々「新しい庭園をどうやって知るのか」という質問を受けるのですが、必ず「行きそうな自治体の文化財情報を見る」とお答えする。この庭園も知ったきっかけは久留米市の文化財の一覧からで――久留米市の文化財課に問い合わせたのはコロナ前の2020年の初め頃。それ以降なかなか九州へ来る機会もなかったけど、今回ようやく…!
で、季節が真冬だったので見頃とは言えないし写真映えもしないかもしれないけど、耳納連山・兜山の借景が本当に見事で…!
新旧タイプ問わず色々な庭園を紹介するけれど、この様な国ではなく“市町村”の名勝で、観光スポットではないから情報も無く、新しくないから話題になることはない、歴史に埋もれてしまいそうな庭園こそ個人的には推したい庭園だったりする。
久大本線・御井駅〜善道寺駅の中間点に位置する山本町。上野家は江戸時代には当地の大庄屋を務めたお宅で、そのルーツは鎌倉幕府の御家人・足利泰氏に遡ります。その五男・義辯が上野姓を名乗り(上野義弁)、そこから時代を重ね室町幕府将軍・足利尊氏が“都落ち”で九州に下った際に上野家も同行。
足利勢が京都へと巻き返す一方で上野氏はそのまま九州に定着、室町時代〜戦国時代には豊後国大名・大友氏の家臣に。
その大友家が島津家に攻め込まれ危機的状況に陥った天正年間の1582年、上野山城守鎮信は大友家を離れこの地で帰農。江戸時代には初期〜幕末まで約200年に渡り大庄屋を務めました。
幕末の1864年の家相図に描かれた長屋門や主屋・土蔵は失われているものの、“御成間”と庭園は江戸時代後期に造営されたものが今日に伝わります。庭園の石灯籠に1816年・1819年の銘があることからその時期の作庭と推定されるとのこと。
“御成間”はその名の通り久留米藩主が休憩・宿泊するために使われた建物。現在屋根はトタンで覆われていますが、本来は藁葺屋根。
今回室内は見ていないのでその意匠はわからないのですが、特徴的なのは基礎と石積で建築から庭園を眺める目線を高く造営されていること。“藩主を迎える為に、建築と庭園を一体で作った”ことがとてもよく伝わってくる。
そして“御成間”から見下ろす池泉回遊式庭園。正面の兜山の借景も見事なのだけど、目線が高いのでかなり左右に広く・パノラマで山々の景色を楽しめる。すごい。山の感じは同じ筑後地域の国指定名勝『清水寺本坊庭園』と似てるし、庭石の感じは柳川の『戸島氏庭園』と似てる気がする。
ご当主いわく「現在になって建物や電線が山との間に増えてきて、それが気になって…隠す為に樹木を伸ばしたりしている」とのこと。現代ならではの悩みはこの様な都会の喧騒からは遠い庭園でも同じ――それでもそんな風に個人で“有馬のお殿様が見た風景を”と思われているのがすごいし、推せる…。
庭園の見頃は当地の“クルメツツジ”を含むツツジが花を咲かせ、借景の山が緑もゆる晩春、新緑の季節――お近くの方はその時期にお問合せしてみて。
あとこの一帯、“植木の里”と名がつくエリアのように植木屋さんの園場・畑が多くを占めていたのも興味深かった。きっとこのお宅以外にも庭園・園芸文化の盛り上がりがあったんだろうなあ。
(2021年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR九州新幹線 久留米駅・西鉄天神大牟田線 西鉄久留米駅より路線バス「下野」バス停より徒歩7分、「太郎原」バス停より徒歩20分(太郎原は本数多い)
JR久大本線 御井駅・善道寺駅より約3km
〒839-0827 福岡県久留米市山本町1755 MAP