江戸時代、“加賀百万石”加賀前田藩の支藩・大聖寺藩 松平家の江戸屋敷に作庭された大名庭園の面影を残す区立公園。
須藤公園(大聖寺藩江戸屋敷跡・品川弥次郎邸跡)について
「須藤公園」(すどうこうえん)は東京メトロ・千駄木駅の2番出口を出てすぐの場所にある文京区立の公園。江戸時代には“加賀百万石”加賀前田藩の支藩、大聖寺藩主・松平備後守の江戸下屋敷があった場所で、当時の屋敷に作庭された大名庭園の面影を残す池泉が残ります。
これまで何度か訪れている公園ですが、2022年5月に約5年ぶりに訪れました。2017年秋に通りかかった時には全面的に閉鎖されて大規模な修繕工事中だったけれど、それもあって公園全体が明るくなり高台部からの見通しも良くなった!(“須藤の滝”も見やすくなった)
すぐ近くに団子坂のある傾斜地の高低差を活かしたこの庭園。現在は高台部から見えるのは東京のビル群ですが、当時は東京湾を隔てて房総半島を望める景勝地だったとか。
明治維新後は長州出身で内務大臣などをつとめた政治家・品川弥次郎子爵の邸宅を経て、1889年(明治22年)にこの地を買い取ったのが実業家・須藤吉左衛門。庭園は須藤家屋敷の一部として保存されました。
その後1933年(昭和8年)に須藤家がこの地を東京市に公園用地として寄付、公園名や“須藤の滝”の名はそこから来ています。
公園として開園した昭和年代に、“公園としての整備”も行われているので、パッと見ると“日本庭園”と思うよりは“公園”と感じるかもしれないけれど、池の中に建つ弁財天の祠堂の周辺の護岸石組には奇石が使われていたりと“癖”を感じる。そして斜面を活かした10メートルの滝も当時の面影を感じる代物!池をぐるっと囲む藤棚は4月後半に花を咲かせ見頃を迎えます。(今回、GWにはもう終わってた…)
この公園の歴史的には“繋ぎ”役だった品川弥次郎。幕末期には“松下村塾”で学び、禁門の変・薩長同盟・戊辰戦争と歴史的な場に居合わせた人物でもあり、地元・山口県には弥次郎が主導して保存された藩主・毛利家ゆかりの茶室・庭園が幾つかある。もしかしたらこの庭園にも茶室があったのかもなぁ。
“大名庭園としては広くない”けど、明治時代の屋敷の庭園としては十分な規模をほこり、その面影を残す須藤公園。散歩にもどうぞ。
(2014年3月、2017年5月、2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
東京メトロ千代田線 千駄木駅より徒歩1分
JR山手線 日暮里駅・西日暮里駅より徒歩10分
東京メトロ南北線 本駒込駅より徒歩13分
〒113-0022 東京都文京区千駄木3丁目4 MAP