金森可重など飛騨高山藩主・金森家や山岡鉄舟ゆかりの寺院に残る“金森宗和好み”の庭園。高山市指定名勝。
宗猷寺庭園について
「真流山 宗猷寺」(そうゆうじ)は飛騨高山藩二代目藩主・金森可重の菩提寺として、その子・金森重頼、金森重勝(金森左京)により江戸時代初期に創建された寺院。 本堂が高山市指定重要文化財となっているほか、“金森宗和好み”の庭園が高山市指定名勝となっています。また山岡鉄舟ゆかりのお寺でもある。飛騨三十三観音霊場6番札所。
2021年6月に約7年ぶりに訪れた飛騨高山。町並みの知名度と比べると有名な“庭園”は無い飛騨高山ですが、市指定史跡・市指定名勝の庭園が3つあります。こちらはその一つ。(こちらの庭園はご住職がいらっしゃる際にお声がけして拝観することができます。)
先に紹介した『川上別邸史跡公園』(金森左京家屋敷跡)からすぐ近く。国の重要伝統的建造物群保存地区の古い町並みの東部、東山の麓はお寺が立ち並ぶエリアで、この宗猷寺は高山市内で唯一の臨済宗妙心寺派の寺院。
当初は1632年(寛永9年)に「新安国寺」の名で創建され、後に開基となった金森重頼、金森重勝ふたりの法名から現在の寺名となりました。
市指定文化財のうち鐘楼堂が江戸時代中期の享保年間(1700年代前半)の建立、本堂が1824年(文政7年)の建立。大工棟梁は坂田半三郎。
また幕末~明治時代に活躍した山岡鉄舟は父・小野高福が飛騨郡代(=天領・高山の代官)として赴任したこの地で幼少期を過ごし、この宗猷寺で禅などを学んだそう。小野高福は『高山陣屋』で最期を迎え、宗猷寺にある墓所が“山岡鉄舟父母の墓”として高山市指定史跡。後に鉄舟から観音堂が寄進されました。
庫裏の背後に山裾の斜面を利用した池泉鑑賞式庭園があります。創建された江戸時代初期の作庭と推測されていて、その作風は“金森家好み・宗和好み”とも。
近年庫裏が拡張されたようで、以前はもう少し奥行があったはず(今は池がだいぶ近い)。平庭の『川上別邸史跡公園』とは作風/印象が異なりますが、下呂にある金森宗和作庭の岐阜県指定名勝『禅昌寺庭園』も山の斜面が目の前!みたいな池泉鑑賞式庭園なので事例としては近い。
東山の寺院にはこのような細長い池と石組のある庭園が幾つか残り、その他にも“宗和好みの庭”と言い伝えられる庭園が飛騨高山では親しまれている。“金森宗和好みの庭園”、盛り上がるといいなあ。
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)