山王草堂記念館(蘇峰公園)

Soho Park (Sanno Sodo Memorial Hall), Ota-ku, Tokyo

近代を代表するジャーナリスト・徳富蘇峰の旧宅跡に残る記念館と青モミジの美しい池泉回遊式庭園。

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山王草堂記念館・蘇峰公園について

「蘇峰公園」(そほうこうえん)は明治〜昭和の近代を代表する日本のジャーナリスト・徳富蘇峰の旧宅があった場所に1988年に開かれた公園で、旧居の一部を保存・利用した「山王草堂記念館」(さんのうそうどうきねんかん)があります。
2019年、東京⇒京都へ引っ越す前に最後に足を運んだ庭園です。今となっては地域の公園なのであまり「庭園」と思わないかもだけど、邸宅があった頃の写真を見ると立派な邸園だったことがわかる。

徳富蘇峰の説明は長くなりそうなのでググってください…という感じなのですが、ざっくり言うと、

●現在の「東京新聞」の前身の一つ・國民新聞の創刊者
●平民の立場から政治に切り込むジャーナリズムは当時は画期的なことだった
●一方で山縣有朋桂太郎ら、当時の政治家とも密接な関係にあった
●また『根津美術館』根津嘉一郎も経営に参画していた

…という感じでやはり他の“庭園”にも出てくる人物が登場。ちなみに旧居が『蘆花恒春園』となっている小説家・徳冨蘆花は実弟。昨年初めて水俣へ行った際に足を運んだ徳富蘆花の生家、あそこは徳富蘇峰生家でもあったのか…。

そしてこの大田区・山王の地も――これまで全然足を運んだことがなかったけど、江戸時代は宿場町、近代には文化人や実業家・政治家の邸宅が多く立ち並ぶ場所だったそう。中でも文人が多かったことから“馬込文士村”という呼称も。蘇峰公園のすぐ近隣には『尾崎士郎記念館』も。

徳富蘇峰は60歳を過ぎた晩年、この地に邸宅をかまえ“山王草堂”と称して暮らしていました。90歳で完結した全100巻にも及ぶ『近世日本国民史』の多くはこの地で執筆され、現在記念館の中では関連資料や親交のあった勝海舟(赤坂の勝海舟邸に借家していた。なお海舟も同じく大田区内に記念館があります)の書簡などが展示されています。

その敷地内の庭園についてはあまり説明板でも語られていないのですが、元々この地は蘇峰が買った時には雑木林があったそうで、自然の面影を強く残す池泉回遊式庭園。
その池泉庭園が大正13年の竣工と同時にあったかは不明ですが…敷地内には主屋の他にも蘇峰が収集した10万冊に及ぶ書籍を収蔵していた「成簣堂文庫」、草庵「一枝庵」、「牛後庵」という和風建築が存在していたそうなので、それらの建築の中庭として憩いのスペースになっていたんだろうと想像できる。

また庭園内には石灯籠などの石造物が点在するほか、平安時代末期〜鎌倉時代にかけてのものと推測されている古塚(古墳の小さい版)があったり、その向かいにある井戸の湧水?から流れを通って、“もみじ池”へ流れ込み、その名の通り池の周辺にはモミジが多く植わっている。ここも紅葉の時期に訪れたらよりきれいなんだろうなあ。
また園内にある“カタルパの木”は徳富蘇峰の師であり、同志社大学の創立者・新島襄より贈られたもの。正確に言うと熊本にある『徳富記念園』に植えられたカタルパにした挿し木した三代目とのことですが、5月には白い花をつけるそう。その時期にも訪れてみたい。

なお成簣堂文庫にあった書籍は現在は千代田区の『石川武美記念図書館』(旧お茶の水図書館)へ移っています。
東京には大名の江戸屋敷ルーツの日本庭園が多く残る――とは思っていたけど、今こうして歩いてみると近代の文人の旧宅・庭園も多く残るっぽい(林芙美子邸もそうでしたが)。ああこれは居た頃にもっと色々足を運んでおけばよかったなぁ。今後東京へ来たら新たな場所をもっと歩きたい。

(2019年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR京浜東北線 大森駅より徒歩15分
大森駅より路線バス「馬込銀座」バス停下車 徒歩5分

〒143-0023 東京都大田区山王1丁目41-21 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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