聚楽園公園 茶室“嚶鳴庵”

Shurakuen Park Tearoom Garden, Tokai, Aichi

大正時代からの歴史を持つ公園の平成の茶室“嚶鳴庵”と露地庭園。建立当時、日本一の大仏だった東海市指定文化財『聚楽園大仏』も見所!

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聚楽園公園 茶室“嚶鳴庵”について

「聚楽園公園」(しゅうらくえんこうえん)は愛知県東海市の都市公園。大正時代に開業した前身の料理旅館『聚楽園』から100年以上の歴史を持ち、園内に建つ『聚楽園大仏』は東海市指定有形文化財。また公園も東海市指定名勝。茶室「嚶鳴庵」(おうめいあん)の周囲に日本庭園があります。
2022年9月に初めて訪れました。

名鉄・聚楽園駅の目の前、東証プライム上場企業『愛知製鋼』本社の目の前に広がる広大な公園、聚楽園公園。その歴史は1916年(大正5年)の『聚楽園』開業にさかのぼります。
聚楽園を開業/聚楽園大仏を建立したのは近代名古屋の実業家・山田才吉。缶詰などの水産業から始まり、後に中日新聞となる「中京新報」、ガス事業や名古屋市議会議員など名古屋の政財界で多方面に活躍しました。

豊臣秀吉が京都に築いた幻の御殿『聚楽第』の名前を模した聚楽園。公園の高台に建つ大仏が建立されたのは公園開園から10年経った後の1927年(昭和2年)のこと。昭和の高度成長期に日本各地に「大仏」が作られますが、戦前に建立されたこの大仏は完成当時は日本一の大きさの阿弥陀如来坐像だったとか。

才吉の死後も旅館の営業は続けられたものの、戦後にその敷地の大部分が「聚楽園公園」として整備され、やがて東海市に寄贈され東海市の公園に(*大仏のみ現在も宗教法人の所有)。料理旅館の聚楽園は平成年代のはじめに取り壊され、その跡地に茶室“嚶鳴庵”が建立されました。

広大な公園は“ヤカン池”を中心として、北部に嚶鳴庵や「水辺の生態園」にキャンプ場、南部には保健福祉センター/健康ふれあい交流館などを含む福祉サービス施設『東海しあわせ村』が建ちます。いち料理旅館の敷地がこれだけあったというのがとてつもない…!

1996年(平成8年)に建立された市民茶室「嚶鳴庵」。その名は東海市出身の儒学者・細井平洲が江戸で開いた塾「嚶鳴塾」にちなんだもので、“鳥が仲良く声をあわせて鳴き交わす”=《学問を志す方々が集い、互いに議論し、切磋琢磨する》という意味が込められていたとか。

そんな意味も込められた嚶鳴庵、訪れた日は広間で市民向けの文化教室が行われていました。『東海しあわせ村』主催で年間を通じてお茶/写経/短歌/俳句/坐禅などの文化教室が行われ施設は活発に活用されているみたい。

室内では350円で呈茶(茶菓子付)をいただくことができるほか、嚶鳴庵の中心に和風庭園が広がります。枯流のある枯山水庭園からはじまり、奥につつむにつれ本席への露地庭園へ。庭園そのものは平成年代のものだけれど、周囲の森林に溶け込んだ空間は“近代の料亭”時代の面影を感じることもできます。

(2022年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

名鉄常滑線 聚楽園駅より徒歩10分

〒476-0002 愛知県東海市名和町砂崎42 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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