聚遠亭

Shuen-tei Garden, Tatsuno, Hyogo

播磨の紅葉の名所は苔も美しい。龍野藩主・脇坂家の屋敷跡に残る、孝明天皇ゆかりの茶室を中心に据えた回遊式庭園。

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聚遠亭庭園について

「聚遠亭」(しゅうえんてい)は播磨国・龍野藩を約200年間治めた藩主・脇坂家が上屋敷をかまえた場所に残る庭園。幕末に孝明天皇から拝領したと伝えられる茶室“浮堂”など複数の茶室と歴史的建造物が点在します。たつの市指定文化財・史跡。(尚それぞれの建物の内部は施設利用がない日に職員さんの許可の下で見学することができます。)

2019年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された“播磨の小京都”龍野の町並み。2021年4月に初めて訪れました!城下町でもあり、“うすくち醤油”など醤油醸造で栄えた龍野。想像以上に広域に江戸~近代の古い町並みが残っていて非常に良かった。
歩いている人は少なかったけど…商店とかも観光に寄り過ぎてる感じじゃなく現役って感じなのは(海と内陸で違うけど)尾道っぽいなと思ったんだよな~。

そんな歴史ある街、庭園のある施設もあるので幾つか紹介。その代表格が聚遠亭。一見すると都市公園のような感じでもあるけど、広く立派な石段からはじまり、由緒ある茶室とお屋敷、高台からのロケーションに紅葉と苔の美しさ。これは播州・兵庫でも屈指の庭園なのでは?

龍野の城下町の最も奥まった場所、的場山の麓に藩主・脇坂家の上屋敷(別邸)“御涼所”が建てられたのは18世紀後半(江戸時代中期)。
現在隣接した場所に鎮座している龍野神社も元は九代目藩主・脇坂安宅(江戸幕府老中)によって藩主屋敷の敷地内に脇坂家の廟社として建立されたものなので、この一帯は元は“大名庭園だった”と考えられるかもしれない。

この庭園のメインの一つ、心字池にせり出した茶室“浮堂”も脇坂安宅が『京都御所』復旧事業の功績によって孝明天皇により拝領・移築されたもの。なので現在見られる庭園の原型は江戸時代後期には存在していた。
現在園内中央に建つもう一つの茶室“楽庵”が1983年(昭和58年)の完成で、その時および1955年の公園としての開園の際に手が加わっている所も多そうだけど…山裾を利用した滝石組なんかも時代ごとに残っている感じがするのもまた見ごたえある。

その2つの茶室の前の広めの芝生エリアも野点のためにあるような感じ。そして園内各所からは龍野の城下町を見下ろし、空気が澄んだ日は瀬戸内海まで見渡せられたそうで、その眺めの素晴らしさが“聚遠の門”と呼ばれ、この庭園名の由来に。茶室や四阿を結ぶ、藩主由来の高台の池泉回遊式庭園。『兼六園』っぽさがある。

なお茶室『楽庵』は地元・ヒガシマル醤油の寄贈により裏千家15代目・鵬雲斎千宗室の命名。現在は休止中だったけれど平常時は土日祝はお抹茶も楽しめるそう。その他庭園内には井原西鶴の句碑や、龍野出身の詩人・三木露風の詩碑があります。

訪れた日も職員の方がきれいな苔の上の落ち葉を箒で掃除をされていた。この広さをきれいに保つのは大変だろうけど…この庭園の素晴らしさは広まってほしい!

(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR姫新線 本竜野駅より徒歩25分(駅前にレンタサイクルあり)
JR姫路駅より路線バス「龍野」バス停下車 徒歩15分

〒679-4170 兵庫県たつの市龍野町中霞城6 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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