松花堂庭園・美術館

Shokado Garden Art Museum, Yawata, Kyoto

“寛永文化”の中心人物・松花堂昭乗が隠居した草庵を中心とした国指定名勝の庭園と、“庭屋一如”中村昌生による茶室建築群。

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松花堂及び書院庭園・美術館について

「松花堂庭園・美術館」(しょうかどうていえんびじゅつかん)は江戸時代初期の文化人/僧・松花堂昭乗が当初『石清水八幡宮』の境内に造った草庵“松花堂”を中心とした回遊式庭園と美術館。その庭園が「松花堂及び書院庭園」として国指定名勝となっています。

2018年3月、椿と枝垂れ桜・山桜が美しい時期に初めて訪れ、2019年は秋に“庭屋一如”の提唱者・中村昌生さんに関する展示『茶室のアイデア~中村昌生と「庭屋一如」~』展を見に再訪。そして2022年は5月…とそれぞれ違う季節に訪れたので各シーズンの写真を紹介。

約22,000平方メートルの園内は“内園”“外園”と2つに分かれ、後述の通り国指定名勝なのは草庵のある“内園”と呼ばれるエリア。初めて訪れた際は通常通り見学できましたが、その後2018年6月の大阪府北部地震で大きな被害を受け2022年現在は内園は閉園中。
なんですが、昨年修復が終わった草庵“松花堂”の特別公開が2022年4月〜5月31日までの約2ヶ月で開催されました。今回足を運んだのはそちらが目的!

■松花堂及び書院庭園(内園)(16〜30枚目)
順路で言うと後半ですが、歴史的にメインになるのはこちら。
“寛永の三筆”の一人にも名が挙がる松花堂昭乗は神仏習合の時代の『石清水八幡宮』の寺坊・瀧本坊の僧でありながら、文人としての名声以外にも小堀遠州とともに茶室を造ったり、石川丈山とともに『酬恩庵(一休寺)庭園』の作庭にも参画した、当時の寛政文化を支えた一人でした。

現在内園にある「松花堂」は松花堂昭乗が隠居する際に石清水八幡宮のある男山の山内に建てられたもの。
しかし明治時代の神仏分離により男山から取り払われることとなり、“泉坊書院”(京都府登録文化財)とともにこの地に移築されました。
ちなみに男山の中にある“松花堂跡”も国指定史跡になっていますが、文字通り“跡”であってほぼ何も残されていません。

この移築に伴って作庭された「松花堂庭園」は明治時代の庭園で、松花堂昭乗がこの場に居たわけではないのだけれど。ただその際も江戸時代の書物『都林泉名勝図会』などの古い絵図を参照し、元の露地庭を再現する形で作庭されたもので、そこから時を経た現代においては明治時代の庭園も歴史的庭園であり、国指定名勝に。

「松花堂」周辺の露地庭→泉坊書院の周辺に作庭された枯山水〜古墳を築山として取り入れた池泉庭園…と回遊する庭園となっています。今回、建築が修復中の書院庭園はまだ歩くことができなかったけど。それでも樹木も苔も美しい姿を保っていました。修復終わるのが待ち遠しいな〜(まだ数年掛かるそうだけど)。

■外園(2〜15枚目)
そして小川を中心として竹林や椿、桜、紅葉という季節の草花が出迎えてくれる外園。
アプローチを抜けると、1970年に数寄屋建築家/茶室研究家・中村昌生さんが手掛けた2つの茶室“松隠”“梅隠”。(あと“竹隠”という茶室も。こちらはどこかの実業家の邸宅から移築されたもの…と聞いた気がする。)

このうち高床が特徴的な“松隠”は松花堂昭乗が住職を務めていた瀧本坊の脇に小堀遠州が建てた茶室“閑雲軒”を再現したもの。当時は崖にせり出したような場所に作られたそう。愛媛の『臥龍山荘』みたいな感じだったのかなあ。

…とまあ庭園中心の紹介ですが、施設名の通り敷地内には各種企画展が行われている美術館や『京都吉兆』も。松花堂昭乗ゆかりの場所で、池泉庭園を眺めながら“松花堂弁当”をいただくこともできますよ。

(2018年3月、2019年11月、2022年5月、2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京阪本線 樟葉駅・石清水八幡宮駅より路線バス「松花堂」バス停下車 徒歩3分
石清水八幡宮駅より約3km(駅前にレンタサイクルあり)

〒614-8077 京都府八幡市八幡女郎花43-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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