京都市内を一望する大パノラマで有名な“大舞台”と“将軍塚”から続く、中根金作作庭の庭園から引継がれた枯山水庭園。
将軍塚青龍殿庭園について
「将軍塚 青龍殿」(しょうぐんづか せいりゅうでん)は京都・東山山頂にある、京都の三門跡寺院『青蓮院門跡』の別院、飛地境内。桓武天皇が平安遷都を決断した旧跡“将軍塚”や中根金作が作庭した枯山水庭園から資材が引継がれた回遊式庭園、そして2014年(平成26年)に落慶した、国宝“青不動明王”を安置する青龍殿と京都市内を一望できる大舞台があります。
自宅からもその姿が視界に入る青龍殿。この為にバスに乗って行く、というタイミングがなかなか無かったのだけど、2020年夏に初めて訪れました。将軍塚=東山って感じのイメージなので住所:山科区にめっちゃ違和感。
あと登ってわかったのが、『ウエスティン都ホテル』のすぐ上、みたいなイメージがあったけど実際はもっと南なんですね。円山公園や四条通より南、『高台寺』の山の上という感じ。
その名の由来となっている「将軍塚」は桓武天皇が平安京遷都・造営の最高責任者だった和気清麻呂に誘われて訪れ、盆地を見下ろしこの地への遷都を決断した、という場所。現在も“将軍の像が埋まる”という高さ2m程の円形の古墳が残り、その由緒から中世には新田義貞が陣を敷いたり、近代には大隈重信や海軍大将・東郷平八郎が訪れ、そのお手植えの松も残ります。
将軍塚や後述の枯山水庭園は元々は「大日堂」の境内にあったと記されてますが、2014年以降は「青龍殿」の名がメインに用いられているようです。
青龍殿は元は大正天皇の即位を記念して北野天満宮前に建立された近代和風建築「大日本武徳会京都支部武徳殿」。平成年代に解体が決まった際に青蓮院が取得、平安時代中期に制作された国宝の仏像「青不動明王二童子像」の安置の為にこの地に移築されました。普段見られる“青不動”の姿は複製ですが、特別公開日があります。
青龍殿の前、順路で言うと“大舞台”→“将軍塚”の後には回遊式の枯山水庭園が続きます。苔とモミジの美しいこの庭園、大舞台などの建立と同時期に新たに整備された部分もあるようだけど、元々は1959年(昭和34年)に大日堂の庭園として『足立美術館庭園』で有名な中根金作により作庭された庭園が前身だそう。その後、2014年の落慶にあわせて(以前の庭園の資材を引き継ぎながら)新たに作庭されたのが現在の庭園。(中根金作の庭園はその姿は留めていないそう)
モミジの多さから新緑や紅葉の時期は一層美しそうだけど、春には約200本の桜も咲きほこる桜の名所でもあるそう。車で京都観光に訪れた時にはぜひ足を伸ばしてみてほしい場所!
(2020年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)