“徳川四天王”の子が立藩し、譜代大名が治めた遠州横須賀藩の城下町。その古い町並みに残る江戸時代中期の庭園と、掛川茶/抹茶が味わえる数寄屋建築“湧水亭”。
清水邸庭園について
「清水邸庭園」(しみずていていえん)は静岡県掛川市の南部、江戸時代には遠州横須賀藩の城下町だった横須賀地区にある日本庭園。廻船問屋・清水八十郎のお屋敷に江戸時代中期〜後期に作庭された池泉回遊式庭園が無料公開されています。お抹茶をいただける数寄屋建築『湧水亭』も。
公共交通機関ではJR袋井駅から路線バスで約20分。国指定史跡・横須賀城の石垣を左手に見た先に現れるのが国が認定の「風致維持向上計画」地域にもなっている遠州横須賀城下の古い町並み。江戸時代に存在した横須賀藩は“徳川四天王”榊原康政の子、大須賀忠政が初代藩主となり(当時が6万石で横須賀藩最大)、以降も松平家、本多家など代々譜代大名が藩主をつとめました。
そんな横須賀藩の御用達の商人だった旧家が清水家。元は伊勢国の船運を生業とした家系の出身で、江戸の豪商・来家多七という人物に番頭として仕えた過程で、初代・清水八十郎が元禄年間に横須賀に移住。宝永地震/安政地震と二つの大震災で横須賀湊が機能しなくなると、横須賀から福田湊へと繋がる運河を造成。その名残を感じられる水路が清水邸庭園にも残ります。
北方の小笠山から湧き出たみずみずしい湧水池をそのまま活かして江戸時代中期〜後期に作庭されたと言われるのがこの庭園。中島(亀島)に使われている庭石などは海運を営んでいた清水家が、各地から帰ってくる際に船のバランスを取るため乗せていた各地の石が使われているのだそう。
1991年(平成3年)に「静岡県みずべ百選」にも選出、同年に池のほとりにある和風建築(お休み処)『湧水亭』が新築され翌1992年より一般公開がはじまりました。湧水亭では呈茶もされており、特に金曜日/土曜日は地元の掛川茶を使ったお抹茶/抹茶ラテ/お点前などを楽しむこともできます。
(ところで、建築に関しての情報は施設の方にもなかったのですが、玄関の飛び石〜沓脱石が京都の銘石・鞍馬石、そして側面に北山台杉が植えられていたりと、どことなく京風で『掛川城 二の丸茶室』とよく似ている気がする…)
ちなみに、庭園の一本北の道、旧・横須賀街道沿いにある唐破風玄関の商家が清水家の本邸。庭園は2001年(平成13年)に清水家から掛川市に寄贈されたそうですが、邸宅は現在も清水家の所有で、横須賀の町並みで秋に開催されている『遠州横須賀街道ちっちゃな文化展』では展示会場の一つとして一般公開されています。その他にもレトロな建物がたくさんある遠州横須賀、ぜひ訪れてみて。
(2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)