竹の丸(旧松本家住宅)

Takenomaru Garden, Kakegawa, Shizuoka

ステンドグラス越しの掛川城天守閣と庭園…掛川藩の豪商が明治時代に築いた近代和風建築は、文化財を活用した『竹の丸スイーツカフェ』もオススメ!

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竹の丸(旧松本邸)庭園について

「竹の丸」(たけのまる)は東海道新幹線からも天守閣の見える城郭『掛川城』の北側に位置する明治時代の近代和風建築。「竹の丸(旧松本家住宅)」として、主屋/離れ/蔵など6棟が掛川市指定有形文化財で、掛川城天守閣を借景とした庭園が残ります。2022年からこの文化財を活用した『Takenomaru Cafe/竹の丸スイーツカフェ』もオープン。

戦国時代には大名・今川氏や徳川家康が領有し、のちに土佐・高知城主となった山内一豊が城主の時代に整備された城郭『掛川城』。天守閣の北側に位置した郭「竹の丸」は、二の丸〜本丸など城の中心部に通じる、防衛上重要な郭だったことから江戸時代には掛川藩家老など重臣の屋敷地となっていました。

そんな地名が由来となっている現在の「竹の丸」は、江戸時代の武家屋敷ではなく明治時代に豪商の屋敷として建てられた近代和風建築。

施主・松本家は掛川城下/東海道宿場町・掛川宿で代々葛布問屋「松屋」を営んでいた商家。江戸時代の後半には掛川藩御用達の商人となり、赤字財政だったという掛川藩を支えました。

その関係から明治維新〜廃藩後の土地整理で竹の丸の土地を取得。時の当主・松本義一郎が1903年(明治36年)に竹の丸に本宅を造営(それまでの本宅は旧東海道沿いにありましたが、明治33年に火事で焼失)。当初建てられたのは門から手前の主屋で、1920年(大正9年)頃に「離れ」を増築。

そこから間もなくの1936年(昭和11年)、松本家が東京に転居するにあたりこのお屋敷は当時の掛川町に寄贈。戦後は掛川市の職員の厚生施設や調理実習の場として活用されてきましたが、平成年代に入って2005年に国登録有形文化財/2007年に市指定文化財となり、修復を経て2009年より一般公開がはじまりました。

和洋折衷の近代和風建築の色が濃く残るのは離れで、2階には欄間にステンドグラスをはめ込み、鉄製のベランダが設けられた素敵な「貴賓室」があります。ここから庭園を一望すると掛川城天守閣の姿も!
そして離れ1階の座敷は、2022年から地元・掛川グランドホテルによる『竹の丸スイーツカフェ』としての活用がスタートしました。上段の間のある格式高いお座敷で、庭園を眺めながら地元の掛川茶を取り入れたスイーツやキッシュをいただけます。(しかも安いんです!オススメ!!!)

主屋〜離れの前に広がる庭園も明治〜大正期から残る歴史ある近代日本庭園で、水を使わない枯池〜築山を奥に置き、手前は芝生を基調とした回遊式枯山水庭園。この庭園はモミジが特に多く植っていて、新緑〜紅葉の時期が特に美しい——(とのこと)。…でも葉が落ちてる時期も築山側から建築が一望できる魅力があり、四阿からは立派な立石による枯滝石組が目の前に見えます。

庭園内の現在ベンチがあるあたりにかつては書院があり、途切れるように残されている飛び石/沓脱石が「露地風の中庭」としての面影を感じさせます。カフェ利用された後にもぜひ散策してみて。

(2018年7月、2024年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR東海道新幹線・天竜浜名湖鉄道 掛川駅より徒歩13分

〒436-0079 静岡県掛川市掛川1200 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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