清水園(清水谷御殿庭園)Shimizuen Garden, Shibata, Niigata

江戸時代初期、新発田藩主・溝口氏の御殿に作庭された大名庭園。昭和年代に田中泰阿弥により修復。国指定名勝。

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清水園(清水谷御殿庭園)について

「清水園」(しみずえん)は、江戸時代に新発田藩主・溝口氏の命によって作られた池泉回遊式の大名庭園。同じく新発田市内にある『五十公野御茶屋』と合わせ、『旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園』の名で国指定名勝となっています。

これまで2度訪れました!加賀・大聖寺から溝口氏が入ったのは1598年。そこから江戸時代を通じて新発田の城下町は溝口氏が治めました。清水谷御殿が造営されたのは江戸時代初期の1658年頃、三代目藩主・溝口宣直の時代。その後、四代目・溝口重雄の時代に江戸幕府の茶道方だった縣宗知(あがたそうち)を新発田に招き庭園が作庭されました。
『水』の字型を描いたという珍しい池泉回遊式庭園のほとりには5つの茶室(桐庵、夕佳亭、翠濤庵、同仁斎、松月亭)があります。なお五十公野御茶屋の庭園も縣宗知によるもの。

現在は新潟市の『北方文化博物館』の分館の一つとして運営されています。これは廃藩置県・版籍奉還後、溝口氏の手から離れたのちに荒廃が進み、そこに手を差し伸べたのが『北方文化博物館』の豪農・伊藤文吉だったため。
近代のパトロン――財閥系や鉄道王、銀行王がよく取り沙汰されますが、地域によってはこのような大地主も近代のパトロンとして文化を守るために活躍していたんだな、ということがわかります。

昭和年代にこの庭園の修復に取り組んだのは、京都『銀閣寺』などの出入り庭師であり、新潟のみならず東京などでも素晴らしい庭園を残している柏崎出身の庭師・田中泰阿弥。田中泰阿弥の作風――を庭園の中から見つけ出すのも面白いかもしれません。

(2011年4月、2016年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR白新線・羽越線 新発田駅より徒歩10分

〒957-0056 新潟県新発田市大栄町7丁目9-32 MAP