旧島原藩薬園跡Kyu-Shimabara-han Yakuen (Botanical Garden), Shimabara, Nagasaki

雲仙岳・眉山を眼前に眺められる江戸時代後期の植物園の遺構で、日本三大薬園跡の一つ。国指定史跡。

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旧島原藩薬園跡について

「旧島原藩薬園跡」(きゅうしまばらはんやくえんあと)は江戸時代後期に完成した島原藩の薬園の遺構。奈良県宇陀市の「森野旧薬園」、鹿児島県南大隅町の「佐多旧薬園」と並んで日本三大薬園の一つと言われ、国指定史跡となっています。島原の武家屋敷通りからは約1.5km。街の中心から少し離れているので観光マップには多分乗っていないのでは…と思いつつ、別の地図で見ていてその存在に気付き足を運んでみました。

幕末に島原藩主を務めていた松平忠誠は、長崎で西洋医学を広めたシーボルトの弟子・賀来佐之(かくすけゆき。賀来佐一郎とも)を医師として招き、当初は島原城内の医学校「済衆館」に薬園を造園しました。しかしその場所だと手狭なことから、雲仙岳・眉山の麓である現在地に移築。…ただしその歴史はさほど長くは続かず、明治時代の廃藩とともに薬園としての経営は終了。

その後この地は再開発が行われず、江戸時代に開園した当時の石垣や区割り、そして屋敷の遺構が残されていることから、江戸時代の貴重な薬園跡として国指定史跡となりました。現在は史跡を活かした植物園として開かれており(訪れた際は無人でしたが一応事務室・休憩所的な施設もあり)、雲仙岳を借景に植物や草花を楽しむことができます。

島原藩薬園の造園・運営には賀来佐之の弟・賀来飛霞(賀来睦三郎)も関わったとされます。佐之とともに島原藩領内で1,000種類もの薬草を採取・調査を行い、それをまとめた「島原採薬記」「彩色図鑑」を発刊。兄・佐之の死後は島原藩医を務め、その後晩年には「小石川植物園」でも研究に携わり、伊藤圭介・飯沼慾斎と並んで幕末の三大本草学者の一人とも言われます。

(2018年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

島原鉄道 島原駅より約2.5km(徒歩30分)※駅にレンタサイクルあり
島原駅・島原港より路線バス「農高前」バス停下車 徒歩5分

〒855-0856 長崎県島原市小山町4703 MAP