江戸時代初期に築城された「島原城」のすぐそばに残る武家屋敷群とその庭園。
島原武家屋敷街について
「島原城」(しまばらじょう)は江戸時代初期に島原藩(日野江藩)初代藩主・松倉重政によって築城された城郭。なおその際に廃されたのが『島原の乱』の舞台であり、世界遺産にも構成されている「原城」です。
島原の城と言うと「原城」の方が圧倒的に知名度があると思うので、初めて島原城を目の当たりにした時「こんな街中にこんな立派なものが残ってるんだ!?」と驚いた(勘違い)。現在の天守閣や櫓は昭和に復元されたもの。
その島原城から歩いてすぐの場所に武家屋敷街(武家屋敷通り)が残されています。島原城の築城と同時期、江戸時代初期に整備された町並みで、現在も道の真ん中を流れているのは雲仙岳からの湧水(島原は「島原湧水群」が日本の名水100選に選ばれる湧水の町でもあります)。また石垣は江戸時代の中期に整備されたもので、これも雲仙岳の溶岩を用いたものです。
現在この一帯には幕末〜明治に建てられた茅葺き屋根の3つの武家屋敷と池泉鑑賞式庭園の遺構が残されています。
・武家屋敷売店前の庭園(1、7〜9枚目)
・山本邸(4〜6枚目)
・篠塚邸(11枚目)
・島田邸(12枚目)
・さかきばら郷土史料館に隣接する園地に残る庭園(10枚目)
※ちなみに公開されていない武家屋敷にもやはり庭園があるところにはあるようです。気になる…
現在最も武家屋敷街の面影を留めているのはこのかつて「鉄砲町」と呼ばれた通りですが、この碁盤目上の街区は一本隣の道を通っていても、住所でいう「城内」のエリアは古そうな門だったり大なり小なり武家屋敷街の面影が残っていて面白い。 また「鉄砲町」の由来は、ここには歩兵・徒士がまとまって住んでおり、隣の家の更に隣まで丸見えな程隣接している様が鉄砲の筒のようだということから名付けられたといいます。島原市の町並み保存地区に指定。
余談ですが今回の4年ぶりの島原は、島原鉄道での往復含めて外国人旅行客(欧米の方)が結構多く居ることに驚いた。一つはやはり「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の影響は日本人以上に外国の方にとっても大きいのだろうということと、その中でも島原城や島原の武家屋敷街というのはとても「日本らしい風景」なので(しかも駅からも近い)、島原は結構良いスポットなのかも…。島原半島は温泉もあるし!
(2014年9月、2018年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)