源頼政の末裔・坪川家の残した福井県最古の民家と、茶道宗偏流の始祖・山田宗偏が『養浩館庭園』と共に福井で手掛けた庭園。
坪川氏庭園(千古の家)について
「千古の家」(せんこのいえ)は福井県内最古の民家と言われる、江戸時代初期から残る大きな茅葺屋根の建造物で、その建築が国指定重要文化財、そして家屋に隣接する池泉鑑賞式庭園が「坪川氏庭園」として国登録記念物(名勝地)に選定されています。作庭は茶道宗偏流の祖・山田宗偏。
訪れたのが3月末だったのであまり見頃な花とかは無かったけれど、6月中旬には敷地内の菖蒲園の花が咲き誇り、一年のうちで最も美しい光景が見られるそう。また予約制の古民家カフェや十割蕎麦も!
坪川家は平安時代の平家政権下では平氏とともに要職を務めた源頼政の後裔の武家とされます。その源頼政と以仁王と平家が対峙した「鹿ケ谷の陰謀」で京を追われた坪川家の始祖・坪川但馬貞純が越前に落ち、その後この竹田の集落へ定住したそう。それ以来、約800年間に渡って坪川家はこの地で暮らし、代々名司や村長などを務める名家に。
国重文となっている主屋の完成時期に関しては正確な史料がなく江戸時代初期とされているけど、もっと古い可能性もあるとのこと。最も特徴的なのは、正面を破風、また左右の角屋も破風とした茅葺屋根。全国でもこの坪川家だけという独特なデザインが茅葺屋根の重厚感をより強めています。
主屋の隣には江戸時代初期〜中期にかけて作庭された池泉鑑賞式庭園があり、作庭は京で活躍していた茶人・山田宗偏によるものと伝わります。
宗徧流茶道の祖である山田宗偏の名を今回初めて記しましたが、宗偏は京都では小堀遠州や千宗旦の弟子として茶道を学びました。遠州は言わずもがなとして、同じく千宗旦の弟子・藤村庸軒が国指定名勝『居初氏庭園』を手掛けていることを考えると、作庭のルーツはそこにあるんだろうと想像できます。
ちなみに、福井の大名庭園『養浩館庭園』を手掛けたのもこの山田宗偏…とこの坪川氏庭園の説明にはある。以下のような文献も。
堀澤眞澄『福井、養浩館と丸岡、千古の家庭園の三尊石組について』(日本庭園学会誌)
豪農の庭園でありながら、その権力を誇示するものと言うよりも――当時のお寺さんに見られそうな石組や細い心字池による庭園という印象。この池泉や山から流れてくる雪解け水や清流が流れ込んだもので、この時もこんこんと水路から水が流れ込んでいました。この時期は梅の木が少し実を付けていたぐらいでしたが――先述の花菖蒲の見頃以外にも秋にはその里山も含めて紅葉が美しいそう。次回はまた別の季節に訪れてみたい!
以下は道中の風景。福井の名勝庭園は公共交通機関で行くのが難しい山中にあるものがいくつかあり…ここもその一つ。一応乗合タクシーはあるものの、それも福井駅ではなく一度丸岡の市街地に出てからなので――今回は1日スクーターを借りた足で行きました。永平寺口側から坂を登ると、市街地の風景や都会に居ると普段見られない砕石場も見れた。
ちなみに…一応最寄駅として挙げた永平寺口駅にはレンタサイクルがあります…チャリで坂を登ることを好きな人は行って行けなくはないかもしれない?電動かガチのチャリならともかく普通自転車ではきついか…。
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
丸岡バスターミナルより竹田地区乗合タクシー「竹田」停留所下車 徒歩3分 ※1日5往復。時刻表はこちら
最寄り駅はえちぜん鉄道 永平寺口駅、約9km
丸岡の街中から約10km、福井市街からは約20km
〒910-0205 福井県坂井市丸岡町上竹田30-11 MAP