
清水寺にいたる産寧坂の途中の七代目小川治兵衛(植治)が作庭した庭園と、東山大茶会の舞台にもなった茶室群。
青龍苑(霊鷲山荘)について
「青龍苑」(せいりゅうえん)は京都の代表的観光地・産寧坂の国重要伝統的建造物群保存地区の町並みにある庭園で、近代京都を代表する作庭家・七代目小川治兵衛(植治)により作庭された庭園を平成年代(2000年)に再構築したもの。
2020年春、観光控えと言われているうちに清水寺~産寧坂の方へ行こう!と思い久々に産寧坂のあたりを歩きました。足繁く通いそして住むに至った京都だけど、産寧坂を歩くのは4、5年ぶりぐらいかも…。
目的は最近存在に気づいたこの庭園。青龍苑は老舗料亭「阪口(霊鷲山荘)」がその敷地一部をテナントとして開放し、よーじや、イノダコーヒー、お香の松栄堂などなど京都の有名店が店舗を構える複合施設。庭園はその中央に位置します。竣工時の定礎によると企画は竹中工務店、設計施工はくろちく(こちらも京都の有名店です。でも施工と企画、逆じゃないんだ)。
青龍苑のサイトには《小川治兵衛氏によって造営されたものを再構築》とあり…七代目という文言はここにはないけれど、鈴木博之『庭師小川治兵衛とその時代』によると手掛けた庭園に“東山霊山”というのがあり――それかなあ?もっとも高台寺近くに霊山観音・霊山護国神社という寺社もあるのでどことは言い切れないけど。
そして作庭年代も定かではありませんが、教えてもらった『近代京都オーバレイマップ』を見ていると、大正初期にはこの池泉があったことがわかります。…ていうかこのサイトやばい!
エントランスにある京都市の案内板、かなり文字が削れて読みづらいんだけど頑張って読むと…この東山は古くから霊山または霊鷲山と呼ばれていたそう。平安時代に最澄がこの地で『正法寺』を開きました(現在も更に坂を上ったところにあります)。正法寺の山号が霊山(霊鷲山)。霊鷲山荘(りょうじゅさんそう)という名はそれが由来となっています。
江戸時代には、豊臣秀吉の妻・北政所(ねね)の甥にあたる歌人・木下長嘯子(木下勝俊)の隠棲の地であったとされます。この木下長嘯子も小堀遠州や細川幽斎、林羅山といった時の文化人とこの地で交流を深めていたそう。
この池泉回遊式庭園で目を引くのはなんといっても茶室。低地部、池のほとりにあるのが“清涼”。大正時代に開催されたあの『東山大茶会』の一席にもなったと伝わります。
中段にある茅葺屋根の“長嘯庵”は木下長嘯子の隠棲の地であったことにちなんで造られたもの、そして最も高い位置にある“三弦”は裏千家十一代・玄々斎精中によって幕末に江戸の徳川家領内に造られた茶室の一部を移築したもの。
いずれも外から眺めるだけであり、長嘯庵・三弦へ至る園路は入場できなくなっているので近くで見ることはかないませんが、阪口のお食事にそうしたお茶のコースもあったりするのかなー。
これらの茶室の位置が2000年の時点で再構築され、“真行草”を意識し配されたのが現在の姿。改修前には約2,000坪という広大な規模をほこった庭園、先に書いた通り現在高台部には入場できないけど――山の方にも庭園が続いているんだろうな~(きっと京都の市街地の眺めが素晴らしいはず…)。
また料亭としては縮小されたとはいえ、主屋は二階の渡り廊下など近代の和風建築の面影を残しているもの。実際いつ頃に建てられたものなんだろう。いつか主屋の中からもこの庭園を眺めてお食事してみたい。
(2020年3月・5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京阪本線 清水五条駅・祇園四条より徒歩約20分
阪急京都線 京都河原町駅より徒歩20分強
最寄バス停は「清水道」徒歩7分
〒605-0862 京都府京都市東山区清水3-334 MAP