世界遺産・清水寺の門前町・産寧坂(三年坂)に残る、七代目小川治兵衛(植治)作庭の穴場庭園。東山大茶会の舞台となった茶室群も。
青龍苑(京都阪口庭園・旧霊鷲山荘庭園)について
「青龍苑」(せいりゅうえん)は京都を代表する観光地・世界遺産『清水寺』へと向かう産寧坂(三年坂)の通り沿いにある日本庭園。無料で見られるこの庭園、元は近代の京都を代表する作庭家・七代目小川治兵衛(植治)が手掛けた池泉回遊式庭園で、それを平成年代(2000年)に再構築したもの。
2022年6月に久々に観に訪れたのでその時の写真を更新。以前とちょっと入場可能な範囲が(結界の位置が)変わってた。
初めて訪れたのが2020年春。それまでは清水寺〜清水坂〜国の重要伝統的建造物群保存地区でもある産寧坂の一帯は人が多過ぎて殆ど行かなかったんだけど…(毎年京都に来ても、5〜6年に1度程度)、“観光控え”と言われてるうちに歩いてみようと。
で、そんな産寧坂にあったのが“青龍苑”。老舗料亭『京都阪口』(霊鷲山荘)が敷地の一部をテナントとして開放した複合施設で、通り沿いにはよーじや、くろちく、お香の松栄堂、京つけもの 西利、イノダコーヒー(現在は閉店)…などの京都の有名店の支店が並びます。竣工時の定礎によると企画は竹中工務店、設計施工はくろちく(施工と企画、逆じゃないんだ…)。
門をくぐった先に庭園があります。2020年時点での青龍苑のサイトには《小川治兵衛氏によって造営されたものを再構築》とあり…鈴木博之『庭師小川治兵衛とその時代』の作庭歴にも“東山霊山”というのがある(*2022年6月時点ではWikipediaの小川治兵衛の項にも『京都阪口庭園 (旧霊鷲山荘庭園)』が加わっている)
作庭年代も定かではありませんが、『近代京都オーバレイマップ』を見ると大正初期にはこの池泉があったことがわかる。
時代を遡って平安時代に最澄がこの東山の地に開いた『正法寺』の山号が霊山(霊鷲山)で、現在も霊山町、霊山観音、霊山歴史館…などにその名が残りますが、この庭園や阪口の入口に掲げられる“霊鷲山荘”(りょうじゅさんそう)の名もそれが由来。
江戸時代には豊臣秀吉の妻・北政所(ねね)の甥で歌人の木下長嘯子(木下勝俊)の隠棲の地に。長嘯子は小堀遠州や細川幽斎、林羅山といった時の文化人とこの地で交流を深めていたそう。
この庭園で目を引くのはなんといっても3棟の茶室。なお現在の茶室の配置は2000年に“真行草”を念頭に再構築されたもの。
低地部、池のほとりにある茅葺屋根の“清涼”。大正時代に開催されたかの『東山大茶会』の一席にもなったと伝わります。
中段にある茅葺屋根の“長嘯庵”は木下長嘯子の隠棲の地であったことにちなんで造られた草庵形式の茶室。
そして最も高い位置にある“三弦”は裏千家十一代・玄々斎精中によって、幕末に江戸の徳川家領内に造られた茶室の一部を移築したもの。
いずれの茶室も外から眺めるだけであり、長嘯庵〜三弦に関しては園路が遮られているので近くで見ることはかないませんが――山の方にも庭園が続いているはずだし(改修前は約2,000坪という広大な規模)、いつか見る機会があったらいいなあ(きっと京都の市街地の眺めが素晴らしいはず…)。阪口さんでそういうコースがあったりするのだろうか…。
また料亭としての主屋も、2階の渡り廊下など近代の和風建築の面影を残している。いつ頃に建てられたものなんだろうな…いつか主屋の中からもこの庭園を眺めてお食事してみたい!
(2020年3月・5月、2022年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京阪本線 清水五条駅・祇園四条より徒歩約20分
阪急京都線 京都河原町駅より徒歩20分強
最寄バス停は「清水道」徒歩7分
〒605-0862 京都府京都市東山区清水334 MAP