清浄華院庭園“光明遍照の庭”

Shojokein Temple Garden, Kyoto

足利将軍家より伝わった国宝も…京都御苑のすぐ東に位置する皇室ゆかりの浄土宗大本山寺院の枯山水庭園“光明遍照の庭”。小埜雅章作庭。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

清浄華院庭園について

「清浄華院」(しょうじょうけいん)は京都の中心『京都御所』(京都御苑)の東側に位置し、平安時代の創建と伝わる浄土宗大本山の寺院。造園家・小埜雅章(京都庭園室)さん作庭による枯山水庭園“光明遍照の庭”があります。

2023年、清浄華院が開催された初の参加型イベント『LOTUS WEEKEND〜いのちから考える幸せのあり方〜』の際に初めて鑑賞。
なおこのLOTUS WEEKENDはお寺さんにとっても新たな試みで、境内全体を使い《「対話」「体験」「観る」をキーワードに、仏教の視点を交えながら、SDGsや幸せのあり方について発信する》イベント。京都市内の若い起業家や学生さんとのコラボ、和歌山・アドベンチャーワールドのパンダにまつわる企画、さまざまなワークショップやマルシェなどに多くの方が訪れていました。

お寺の歴史について。平安時代の前期、860年(貞観2年)に時の清和天皇の勅願によって、時の高僧・慈覚大師円仁が宮中(天皇のお住まい)に創建。それ以来長くに渡り皇室との結びつきが強い寺院で、寺紋には菊に葉をかけた「葉菊紋」が用いられています。

浄土宗の寺院となったのも、平安時代後期の後白河天皇が浄土宗開祖・法然上人の教えに感動し帰依たことから。現在では浄土宗八総大本山の一つ、京都四箇本山の一つ、そして法然上人二十五霊場の一つにも挙げられます。現在の寺名の由来は《浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所》という願いから。

室町時代〜戦国時代にかけては応仁の乱も挟みながら移転を繰り返しますが、その間も常に内裏の近くにあり続けました。現在地に落ち着いたのは豊臣秀吉による都市計画が行われた桃山時代の天正年間(1573~1592)で、京都の中心商店街として知られる「寺町通」の北部に位置します。

境内には法然上人がまつられている「大殿」(御影堂)から大方丈まで立派なお堂が並びますが、現在見られる建物は明治時代に火災に見舞われた後に再建されたものが中心。また現在は阿弥陀堂となっている旧塔頭・松林院は幕末、京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が半年ほど逗留し、新選組も打合せで訪れたというゆかりのスポット。

御本尊の阿弥陀三尊像が安置された大方丈と小方丈の奥に枯山水庭園“光明遍照の庭”があります。『庭師とあるく京の隠れ庭』など京都の庭に関する著書も出されている小埜雅章(京都庭園室)さんの作成。立石を阿弥陀三尊に見立て、浄土の世界観を表現した庭園で、天気の良い日は背後に東山の借景も。その傍らには1934年(昭和9年)と近代に建立された茶室『清華亭』もあります。

清浄華院に伝わる宝物で、もっとも格式あるのが国宝指定されている絹本著色『阿弥陀三尊像』。中国・宋時代の画家・四明普悦の筆とされるこの作品は足利将軍家より伝わった作品であり、貴重な中国南宋仏画作品なのだそう。国立博物館等で公開された際はぜひチェックしてみて。

(2023年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京阪電車 出町柳駅より徒歩10分
京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅より徒歩15分
最寄りバス停は「府立医大病院前」バス停 徒歩5分

〒602-0852 京都府京都市上京区北之辺町395 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP - TOUR / EVENT
MEDIA / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。