
18きっぷ旅行者は絶対行って…JR米原駅から徒歩7分の寺院庭園は、彦根藩主・井伊氏が再興した際に作庭の隠れた名庭園!近年は“お寺カフェ”も人気。
青岸寺庭園について
「吸湖山 青岸寺」(せいがんじ)は滋賀県米原市のJR東海道新幹線・米原駅の程近く(徒歩7分)にある曹洞宗の寺院。江戸時代初期に作庭された『青岸寺庭園』が国指定文化財(名勝)となっていて、2024年には日経新聞で有識者の選ぶ「雨の庭」ランキングでも1位を獲得した“隠れた名庭園”。また近年はお寺カフェ『kissa-ko 喫茶去』も人気!
青春18きっぷ愛好家ならほぼ全員が利用・そして大体乗換を経験しているであろうJR米原駅。そこから徒歩6〜7分という駅近に、実はめちゃくちゃ素敵な庭園があります!
その歴史について。南北朝時代の延文年間(1356~1361年)に近江国守護・佐々木道誉(京極道誉)が祈願寺として創建したのが、青岸寺の前身「不動山(太尾山)米泉寺」。
以来、佐々木六角氏に支えられますが、戦国時代に入ると兵火によりたびたび焼失。そののち1534年(天文3年)に龍渓により小堂が再興されますが、以降も順調ではなく地域の人々により見守られました。その小堂に安置されたご本尊の聖観世菩薩像は現在は秘仏ですが、室町時代に六角氏頼(佐々木氏頼)の命で仏師・讃岐法眼尭尊の作で滋賀県指定文化財となっています。
江戸時代に入り、二代目彦根藩主・井伊直孝、三代目藩主・井伊直澄の援助を受けた彦根・大雲寺の要津守三禅師により再興。その折に曹洞宗に改宗し、お寺の再興に尽力した伊藤五郎助のおくりなにちなみ現在の山号と寺名に。
そのお寺の再興の際に初代の庭園が作庭されたものの、彦根城に井伊家の御殿庭園『楽々園』が造営される際に石が供出され、消滅。その後年の1677年(延宝5年)頃に三代目の住職・興欣和尚がその『楽々園』の作庭にも携わった井伊家家臣・香取氏に依頼し、現在の庭園が作庭されました(山門も同時期に建立)。なので、彦根城の『楽々園』とは兄弟庭園的な存在と言えます。
そう言われてみると、楽々園とこの青岸寺庭園ともに石がふんだんに使われた石組の背後が野趣に富む、築山林泉式枯山水庭園という共通項が見られる。楽々園はかつては築山の前の窪みは池泉だったのかなと思わせるけど、青岸寺庭園も基本は苔で流水を表現した独特の枯山水庭園ながら、強雨の日の後には池泉庭園としての姿を見せる二面性のある庭園。
ちなみにこの表現方法は他には長浜市にある滋賀県指定名勝の『池氏庭園』でも見られます。湖北スタイル。
太尾山の斜面や借景を活かしながら、本尊の観音様が住まう補陀落山の世界が表現され、中央の築山が蓬莱島、そしてその奥の三尊石を備えた枯滝石組から水が流れ込む様が表現。1904年(明治37年)には明治時代の名僧と名高い永平寺64世・森田悟由禅師の滞在のために庭園上部にある書院『六湛庵』が造営。そこから見下ろす秋の紅葉や冬の雪景色、そして春の桜の風景や上部の庭園も美しい(あと置いてあるテーブル、リフレクション狙えそう…?)。
しかしたとえ国の文化財の庭園であっても、現在は庭園の維持管理は援助がないそうで。近年は『青岸寺庭園保存会』が立ち上がり、そして冒頭のカフェや予約制の精進料理、アート作品の展示(展覧会会場としての活用)、そして秋には『禅新 -新しい仏教と禅への挑戦-』と題した庭園ライトアップ等も開催されています。
江戸時代には中山道・米原宿に訪れた旅人がみな庭園鑑賞に立ち寄ったという名園で、明治天皇も北陸御巡幸の際に立ち寄られました。長旅の途中にふらっと途中下車して庭園美にふれるのにも最適な場所なので――現在の米原で乗換る旅人にもぜひ立ち寄ってほしい!大垣行きを一本送らせたら混雑回避できることもあるので実用的にも。
(2014年12月、2015年3月、2016年3月、2018年12月、2020年11月、2022年10月、2025年9月、2026年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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- Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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