“天誅組”ゆかりの寺院に、昭和を代表する建築家・村野藤吾が手掛けた伽藍と、森蘊が作庭した枯山水庭園。
櫻井寺庭園について
「櫻井寺」(さくらいじ)は平安時代の天暦年間(947~957年)に桜井康成により創建された浄土宗の寺院。
鉄筋コンクリート造りの本堂や山門、鐘楼などの建築は1967年(昭和42年)に昭和を代表する建築家のひとり・村野藤吾による設計。また境内にある庭園はその翌年に庭園史家・森蘊により作庭されたもの。
2020年年始、国の重要伝統的建造物群保存地区・五條新町の町並みへ初めて行きました!お目当てだった商家・町家施設が軒並み年始休業中だったのが誤算だったけど…その古い町並みと駅までの間にある櫻井寺も目的の一つ。ちなみに創建の桜井康成が何者かは調べても出てこず…地方の豪族かな?
元々このお寺を知ったきっかけは森蘊さんの作品一覧より。庭園としてはさほど大きくものではないのですが、平たい枯山水庭園があります。
そして昭和の香りがする本堂だな〜とは思っていたのですが、まさか建築を手掛けているのが村野藤吾だったとは…!晩年には新潟『天寿園』にちょっと宗教的な?作品を残されているけど、実際のお寺を手掛けられているのは(今調べた限り)ここのみ。
そしてその築山に並んで配されているのが“天誅組”ゆかりの手水鉢。この桜井寺は「天誅組本陣跡」としても知られます――が、自分は天誅組のことを知らなかったので少しだけ書くと。
公卿・中山忠光を主将とする尊皇攘夷派の集団で、1863年(文久3年)に五條代官所を襲撃。その後はこの櫻井寺を本陣として“五條仮政府”と称したそう。先の手水鉢は討ち取った代官の首を洗った、といういわれのある手水鉢。
その後の政情の変化により天誅組は追われる立場となり、吉野にて壊滅。その快進撃の歴史は長くないというかむしろ短いのですが、それでもこのお寺に現在も石碑が立つのは、その後の倒幕〜明治維新へと繋がる火付け役の一つだったから。詳しくは関連リンクから五條市の解説を!
(2020年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)