備中松山藩主・板倉家の御座所だった旧家の庭園は、縣造りの茶室も景色に取り込んだ倉敷の隠れた名庭園。
旧柚木家住宅・西爽亭について
「西爽亭」(さいそうてい)こと「旧柚木家住宅」(きゅうゆのきけじゅうたく)は備中松山藩から奉行格の待遇を受け、藩主・板倉家の御座所(宿泊所)にもなっていた庄屋の邸宅。江戸時代中期に建てられた主屋・茶室・御成門が国登録有形文化財。倉敷美観地区の『大原本邸』や『大橋家住宅』と並び日本遺産『一輪の綿花から始まる倉敷物語 ~和と洋が織りなす繊維のまち~』の構成文化財になっています。
2020年秋、2年半ぶりに倉敷へ――今回“倉敷美観地区”より楽しみにしていたのが玉島の町。江戸時代に備中松山藩の港町として栄え、美観地区ほどではないけどレトロな建築や古い町並みが残ります。一応最寄り駅は山陽新幹線の新倉敷駅で、レンタサイクルで行くにはちょうどよい距離感。
一応、県指定の町並み保存地区になっている玉島…ほとんど(というか全く)観光客がおらず地味ではあるけれど、西爽亭は期待以上!人が居ないとついつい座敷から庭園を眺めてぼーっとしてしまう…今回訪れた倉敷の庭園の中では一番好き。旧家や庭園が好きな人は絶対気に入ると思う。
現在残る主屋・御成門・茶室は天明年間(1781年~1789年)に建造されたものとされます。“西爽亭”の名は備後国出身の儒学者・菅茶山により命名。
平成年代(1993年)に倉敷市に寄贈され、現在は主屋の半分は(外観はそのままに)改築され「生涯学習施設」として資料展示や会議室に用いられていますが、大きな式台玄関や数寄屋風造りの書院の意匠は藩主を迎え入れた格式の高さを感じさせます。
その座敷を挟み、道路側にはマツの巨木とソテツの組合せが目を引く枯山水の鶴亀の庭?と、建物奥には山の斜面を活かした枯山水庭園があります。建物と同じく江戸時代中期に作庭、その後明治時代に改修を経たもの。
この庭園の素晴らしさは、その斜面中腹に(小さいながら)縣造りで茶室を建て、それを座観式として眺めた時に景観の一つになっているところ。規模は大きくないながら中国の山水画みたいな景観を茶室で再現している。
当然、茶室へ至るための回遊式庭園でもあり。児島の『旧野﨑家住宅』の庭園もそうだったけど、ゴツゴツした大き目の石による飛び石も良い。石橋あたりに立つと斜面の高いところに枯滝石組があることがわかるんだけど、もしかしたら昔は座敷からこの石組も眺められたのかもなぁ(知らんけど)。看板の解説文にも“庭園の石組にも由緒があり――”とあるので、座敷から見えたんじゃないかなあ。
【この段落だけ追記】この柚木家出身の画家・久我小年は作庭家でもあり、児島の野﨑家の別荘『梅荘』を手掛けたのだそう。てことはこの庭園も氏が関わってる可能性あるよなあ…。
そんな美しい建築と庭園ですが、西爽亭の“次の間”は幕末の鳥羽・伏見の戦いで幕府方の藩主・板倉勝静の親衛隊長として活躍した備中松山藩士・熊田恰が部下の助命と引き替えに自刃した場所と言われます。明治時代には同志社大学の創設者・新島襄が学生時代にこの柚木家に立ち寄ったことも。
最後に。この施設、(企画展がない時は)無料公開施設。有料じゃなく無料であっても人が来ないロケーションなんだろうけど…(美観地区の盛り上がりで得られる収益がこちらに充てられている?んだろうけど)この建築と庭園が無料というのはなんか申し訳ない気持ちに…。寄付金を入れる箱はあるので、そこへお気持ちを。
(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陽新幹線 新倉敷駅より約3km(駅にレンタサイクルあり)
新倉敷駅より路線バス「玉島中央町」バス停下車 徒歩9分
〒713-8102 岡山県倉敷市玉島3丁目8-25 MAP