松平家康が宿泊したこともある三河の大寺院に作庭された、小堀遠州作?とも言われる大規模な池泉回遊式庭園。
西明寺庭園について
「西明寺」(さいみょうじ)は平安時代に三河国司・大江定基が「六光寺」として開いたと伝わる古刹。鎌倉時代に執権・北条時頼の命で「最明寺」と改称、そして戦国時代には三河国を治めた徳川家康(松平家康)によって現在の寺名「西明寺」に改められました。また三河時代の家康はこのお寺に宿泊したこともあり、その縁から江戸幕府を開いた後に六世伝芝全授和尚が伏見城において家康から朱印状を賜ったと言われます。
江戸時代初期に本堂、山門などが火事で焼失したものの、岡崎城主・水野氏の援助により現在のような大きな本堂・山門・庫裏が整備されたとのこと。 家康が拝観したともいう阿弥陀如来坐像や境内に建つ樹齢400年のモッコク、芭蕉句碑が豊川市の文化財指定を受けているものの、伽藍は文化財指定を受けていないようなので――現代に改築されたりしているのかもしれません。(見た目は江戸時代の古建築と言われても違和感ない)
その本堂・庫裏の裏には大規模な池泉回遊式庭園があり、小堀遠州による作庭――という口コミが色んなサイトにあるのですが、案内板などを探しましたがその情報ソースとなるものは見当たらず…(浜名湖近辺に遠州作庭と伝わる庭園が多いことを踏まえれば、遠州と縁があっても不思議ではないけど)
石の感じとかも現代に入って改修された新しい印象を受けますが、それでも豊川にこんなに大きなお寺や庭園があるとは知らなかった!背後の山が借景となっていて緑にあふれた素晴らしい日本庭園。いくつか見られる真四角の刈込みのアクセントが遠州流庭園という感じがして好き。
また明治時代に日本に招かれ、近代日本の医学の発展に貢献したドイツ人医師、エルヴィン・フォン・ベルツ博士ゆかりの寺院でもあります。
西明寺の近くには東海道五十三次の宿場町「御油宿」があり(最寄の御油駅はその宿場町の最寄駅)、ベルツ博士は来日後に御油宿の旅籠の娘であったハナと結婚。花夫人の先祖の菩提寺が西明寺であったことから、ベルツ博士の没後に供養塔が設けられ、その後は子孫の墓石も置かれているそう。その他、武田信玄に仕えた軍師・山本勘助のお墓も残るとか(見てない…)。
愛知県はお寺の庭園の情報があまり無い印象がある(これまであまり見てきていない)ので、こんな庭園があったことに驚いたし、歴史的に交通の要衝であり続けている地域なのだから三河も尾張も「あまり注目されていないけど歴史的な寺院とその庭園」がもっともっとあるんだろうな…。
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)