THE SAIHOKUKAN HOTEL

犀北館 重森庭園

天皇家/皇室や海外のVIP御用達、長野で明治時代創業の老舗クラシックホテル。日本アルプスにインスパイアされた、重森三玲の孫・重森千靑作庭の枯山水庭園。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

THE SAIHOKUKAN HOTEL / 犀北館 重森庭園について

【宿泊者/食事利用者向け】
「THE SAIHOKUKAN HOTEL/ホテル犀北館」(さいほくかん)は長野市の中心部にある明治時代創業の老舗のシティホテル。2020年、昭和の京都を代表する作庭家・重森三玲の孫・重森千靑(重森庭園設計研究室)による枯山水庭園“重森庭園”が作庭されました。

JR長野駅から約1km、国宝『善光寺』へと向かう途中(参道からは西寄り)かつ長野県庁/議員会館/市立図書館/県立大学などが立ち並ぶ官公庁街に位置する「THE SAIHOKUKAN HOTEL」。洋風のホテルとしての創業は1890年(明治23年)、その前身の旅館「松田屋」「松屋」も江戸時代からの歴史を持つ老舗。創業時に書家・巖谷一六に揮毫された「犀北館」の書は現在もロビーに掲げられています。現在の南館・本館はそれぞれ1977年(昭和52年)と1995年(平成7年)竣工。

これまで時代ごとの皇室(昭和天皇や現・上皇上皇后両陛下)もご宿泊され、1998年の長野オリンピックではIOC・サマランチ会長(当時)など世界各国よりVIPが訪れた際には犀北館は天皇皇后両陛下主催のお茶会(宮中晩餐会)の会場にも選ばれました(民間施設としては初)。またそんな賓客の他にも、岡本太郎夏目漱石川端康成東山魁夷寺崎広業、西川春洞長三洲中林梧竹日下部鳴鶴といった近現代の画家/文人墨客にも好まれ逗留・宿泊。なのでそんな名クリエイターの作品や調度品が館内には残されています。

2002年に「長野ホテル犀北館」から「THE SAIHOKUKAN HOTEL」に名称変更。1階部分には「ワイン食堂 SEIJI」「日本料理 紀元茶寮」「中国料理 寒山拾得」「Champagne Bar 漆舎」といった各種レストラン・バーがあり、そのうち紀元茶寮と、SEIJIの開放的なテラス席からは現・上皇上皇后両陛下の御手蒔きのナナカマド、シラカバも植わった日本庭園が眺められます。

現在見られる枯山水庭園“重森庭園”の竣工はごく近年の2020年。犀北館の創業(命名)130周年を記念して、「庭園」という作品を犀北館に残したい、というホテル側の想いを汲みながら、昭和を代表する作庭家・重森三玲の孫で庭園研究者でもある重森千靑(重森庭園設計研究室)さんにより作庭されました。

まさに“重森スタイル”的な洲浜と砂紋のある白砂、長野の名峰「槍ヶ岳」を連想する立石を中心とした枯滝石組を中心として、2つのレストランの前を細長く枯流~苔・フッキソウの緑が連なってゆく。長野県の日本アルプスの眺めにインスパイアされ、そんな山並みや犀北館の名の由来でもある犀川が表現されています。

前述の上皇上皇后両陛下お手撒きの樹木やそれ以外の宮家の方々によるお手植えの松、そして既存の庭石は再利用され、新たに利用された樹木や庭石も長野県産という「この地らしさ」にもこだわられた庭園。訪れたのが真夏だったので苔はちょっと傷んでいる姿でしたが、時を重ねて緑が馴染んでいくことを期待。

ちなみに重森三玲は長野市で『北野美術館』に枯山水庭園を残しましたが、その美術館を設立した北野家の経営する「北野建設」の本社がホテルのすぐ向かいにあるという関連性も。
なお「SEIJI」の名の由来は近代の洋画家・東郷青児。氏と中川紀元が制作したステンドグラスがその一角にあり、ホテルのロゴにもなっています。そんな長野のクラシックホテル、善光寺参りの際にはぜひ利用してみて。

(2023年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR北陸新幹線 長野駅より徒歩15分
長野駅より路線バス「権堂入口」バス停 徒歩5分
長野電鉄 権堂駅より徒歩10分

〒380-0838 長野県長野市県町528-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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