戦国大名・結城秀康ゆかりの若狭を代表する大寺院に江戸時代中期に作庭された“来迎引接浄土庭園”。
西福寺書院庭園について
「西福寺」(さいふくじ)は今から約650年前、南北朝時代に後光厳天皇の勅願により開かれた寺院で、国指定名勝の「西福寺書院庭園」を始め、桃山時代〜江戸時代に建立された御影堂、阿弥陀堂、書院及び庫裏も国指定重要文化財となっている(またその他にも多く国重文の文化財を所蔵する)若狭地方を代表する大寺院。2019年、約5年ぶりに訪れました!
江戸時代初期、関ヶ原の戦いの後に越前国・若狭国を治めることになったのは、徳川家康の次男であり、養子に入った結城家の武将としても活躍した結城秀康。その秀康から寄進された木材により江戸時代初期に建立されたのが現在も残る書院で、秀康の長男であり越前北ノ庄藩(福井藩)2代目藩主となった松平忠直の弟が西福寺の住職を務めたことから、徳川家ゆかりの住職寺院として「越の秀嶺」とも称されます。
国重文の書院及び庫裏、阿弥陀堂(書院より古い桃山時代の建築)に囲まれた「西福寺書院庭園」は江戸時代中期に作庭されたと伝わる築山林泉式庭園。
桃山時代頃に描かれた阿弥陀如来二十五菩薩の「早来迎図」を表現して造られたこの庭園は「来迎引接浄土庭園」と言うそう。このキーワード初めて書いたぞ。裏山の斜面を活かしたこの庭園、植わっている石が如来・菩薩、植栽で雲が表現されています。
一見「規模の大きい鑑賞式庭園」なのですが、御影堂から阿弥陀堂へ渡る回廊「四修廊下」(ししゅうろうか。こちらも国重文)も名勝庭園の一部に含まれており、またこの廊下を歩くことで庭園の姿の変化を楽しむことができる(そしてこの廊下も「浄土の世界を眺める」ことを意図されている)ことから、回遊式庭園と言った方が適切っぽい。廊下で浄土経典を再現した構造は日本国内でもあまり見られない貴重な建造物と眺め。
本堂である御影堂は江戸時代後期の建立。5年前に訪れた際に平成の大改修がはじまっていましたが、今回訪れた時も足場が組まれていた。そして敦賀最古の建物である「阿弥陀堂」は西福寺とも縁が深かった朝倉氏の本拠・一乗谷から移築されたものとされます。国指定重要文化財となっているこれらの建物以外にも、総門、鐘楼、華頂門などが「西福寺境内建物」として敦賀市の文化財に、そして樹齢650年のスダジイが「新日本名木百選」に選定。次回は庭園のサツキが花を咲かせる時期に訪れてみたい!
(2014年8月、2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR北陸本線 敦賀駅より約5km(敦賀駅にレンタサイクルあり)
敦賀駅より路線バス「西福寺」前下車すぐ(循環線、西福寺線)
〒914-0824 福井県敦賀市原 13-7 MAP