井伊直虎・井伊直政の墓所も残る井伊家の菩提寺に、小堀遠州作庭と伝わる国指定名勝の庭園。遠州三名園の筆頭。
龍潭寺庭園について
「龍潭寺」(りょうたんじ)は江戸時代に彦根藩の大名となった井伊家の代々の菩提寺で、2016年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』で全国区になった井伊直虎や“徳川四天王”井伊直政の墓所も残ります。その庭園は小堀遠州の作庭と伝わり、国指定名勝。遠江国に残る「遠州三名園」の筆頭。
2020年早春に約5年ぶりに拝観、晩秋にも訪れたのでその際の写真を更新しました。
正式名称は「萬松山 龍潭禅寺」という臨済宗妙心寺派のお寺。その歴史は古く奈良時代の733年、行基によってその前身“地蔵寺”が開かれたとされます。“龍潭寺”という寺名となったのは戦国時代、桶狭間の戦いで亡くなった井伊直盛の法名にちなんだもの。
井伊家との縁も古く、平安時代の1093年に遠江国守・井伊共保が当地で逝去されこちらに葬られた頃からこの地を収め始めたそう。
戦国時代の今川家の支配下になった以降は大河ドラマでも紹介されたエピソードなので省略として…不遇の時代を乗り越えて井伊直政が徳川家の有力家臣として地位を築き、彦根藩主まで登り詰めました。なお彦根にも同名の『龍潭寺』があり、そちらにも素敵な庭園があります!
まず本堂前に広がる枯山水庭園“補陀落の庭”は平成年代に作庭された比較的新しいお庭。作庭に至ったエピソードがちょっと面白かったのですが――今言われてみると門をくぐって真正面に本堂があるのに、枯山水庭園で遮られてるのは後世の変化なんだな、と。
その白砂の形から“浜名湖の庭”として地元では親しまれています。
そして本堂の北側にある池泉鑑賞式庭園が小堀遠州の作庭と伝わる国指定名勝の庭園で、寺伝によると1630年頃の築庭。横に長い池泉は心字池になっていて、築山には数多くのサツキ、ツツジ、そして地元のチャート石が多く用いられた石組で滝石組が表現されています。
初夏にはサツキがピンクの花を咲かせ、秋にはドウダンツツジとモミジの紅葉が美しい庭園。また秋(11月下旬)には日付限定で夜間公開も実施。
視点場(ビューポイント)は二つあり、まずは本堂から庭園を向かい合って見たとき。もう一つが、庭園の上手側にある書院からの眺め。
上手側にある書院は江戸時代末期に大老をつとめた井伊直弼が井伊家の菩提寺であるこの龍潭寺に訪れるに伴い増築されたもので、井伊直弼は書院から庭園とその先にある井伊家代々の祀られた「井伊家御霊屋」を眺めたそう。
江戸時代に造られた伽藍(総門、庫裡、本堂、開山堂、井伊家御霊屋など)は静岡県指定文化財で、迫力ある本堂の襖絵「龍虎の襖」は本堂の建立と同じ延宝6年(1676年)に描かれたもの。その他、岩佐又兵衛作と伝わる「龍潭寺屏風 遊楽之図」が静岡県指定文化財。織田信長の遺品なども所蔵。
2月には特別に1702年に建造された朱色の楼閣建築・昭堂大悲閣(開山堂)の2階にも上がらせていただきました…!左手には遠州の庭園、そして右手には大きな本堂の屋根に枯山水。遠目にのぞむ引佐の山々の風景も美しい。
名勝庭園の頭上の樹木は昔は低く、近現代以降の周囲の開発などもあり現在はこのように育ったのだとか。借景も美しかったのかもなぁ。(本堂に飾られていた昭和中頃の修復時?の白黒写真の時点ではもう樹木が茂っているけど、ツツジやサツキの玉が小さい事はわかる)
そんな遠江を代表する名刹でも明治初期には廃仏毀釈のあおりを受け釈迦堂が破壊、現在お寺に残る大仏にも当時の傷跡が残ります。
いちお浜松出身だけど――大人になるまでそういうことも全く知らなかったんだよなぁ。龍潭寺のみならず近隣には静岡県名勝の枯山水庭園『実相寺庭園』がありますが、「おにわさん」を通じて伝えたい“京都や鎌倉まで旅行しなくて、地元にもほこるべきお寺や庭園があるんだよ!”って、自分にとっては浜松(引佐・細江)も本当にそういう場所だったなって思う。
*2020年12月の模様は、『おにわさんと行く!遠州のお寺と庭園巡り【龍潭寺・吉野屋編】』(ジェンヌちゃんねる)や女優・熊谷真実さん公式チャンネルで紹介されています。
(2013年6月、2015年11月、2020年2月・12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
天竜浜名湖鉄道 岡地駅・金指駅より徒歩約30分
天竜浜名湖鉄道 気賀駅よりレンタサイクルで約10分
遠鉄バス・奥山行き 神宮寺バス停下車 徒歩10分
〒431-2212 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989 MAP