龍福寺庭園

Ryofukuji Temple Garden, Tomika, Gifu

雪澤禅師ゆかりの“真如苑”と枯山水の前庭。加治田城主・佐藤忠能の菩提寺、織田信長の重臣・斎藤利治の墓所も。

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龍福寺庭園について

「臨済山 龍福寺」(りょうふくじ)は戦国時代の美濃国の山城・加治田城の城下に残る臨済宗妙心寺派の寺院。加治田城主・佐藤忠能の菩提寺。

この寺院を知ったのは…重森三玲作庭の庭園のある『正眼寺』へ行った後日、Googleマップでその付近を眺めていたら「前庭が枯山水庭園っぽいなあ…」と思ったことから。市町村は変わるけど両者の距離は3km程度。そういえば両方妙心寺派だ。
そして富加町の夢窓疎石作庭と伝わる『東香寺庭園』を観に行った2019年夏、気になっていたこのお寺にも訪れてみました。

創建は室町時代の終わり1566年(永禄9年)。佐藤紀伊守忠能が母の開いた“竜福庵”を拡張し寺院を建立。この佐藤忠能は元は美濃・斎藤家に仕えていましたが、織田信長が美濃国に侵攻した際に信長側につき以後は信長に仕えました。後に信長の命で斎藤道三の末子・斎藤利治(斎藤新五)を養子にとり加治田城主も譲り自らは隠居。
なお信長の重臣となった斎藤利治は“本能寺の変”と同日に二条新御所で討たれましたが、その墓所はこの龍福寺となっています。

江戸時代に入り妙心寺派の寺院となり、現在まで残る本堂が建立。平成年代に“平成の大修理”として本堂や山門・楼門などが修復され、また本堂前の庭園も現代に整備されたもの。

門前の池泉庭園には“雪澤禅師ゆかりの庭 真如苑”という碑が立ちます。この雪澤禅師というのは江戸時代後期の禅僧のようなので、元となった庭園がそれ以前からあったのかも。また“造苑 堀部造園”とあり、作庭・整備を手掛けたのは同じ富加町内の造園会社・堀部造園さんとのこと。
実はこの会社の代表・堀部佳彦さんは、妙心寺派寺院『羽生山鳳林寺』の副住職(禅僧)でもあり、造園家でもあるという。枡野俊明さんやこの方以外にも「作庭もする禅僧」という方が現代にもいらっしゃるんだろうか。

龍福寺は所蔵する“雲板”が岐阜県指定重要文化財。また織田家の重臣・池田恒興が龍福寺開山の天猷玄晃和尚に帰依していたことから、池田恒興の遺品も保存されておりこちらは富加町指定重要文化財となっています。

(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

長良川鉄道 富加駅より約3km(徒歩40分強)
JR太多線 美濃太田駅より約7.5km(駅前にレンタサイクルあり)
美濃太田駅よりコミュニティバス「関也公民館」バス停下車 徒歩20分(本数僅少)

〒501-3301 岐阜県加茂郡富加町加治田135-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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