
細川勝元?相阿弥?金森宗和?作者や十五の石の配置の謎を考察するのが楽しい、世界遺産の枯山水庭園。
龍安寺庭園について
“石庭”(The Rock Garden)と呼ばれる枯山水庭園で知られる「龍安寺」(りょうあんじ)は室町時代の1450年に創建された寺院。世界遺産「古都京都の文化財」にも構成されており、石庭こと『龍安寺方丈庭園』が国の特別名勝および特別史跡、そして石庭へ向かうさなか眺められる“鏡容池”も『龍安寺庭園』として国指定名勝となっています。2020年冬、約4年ぶりに訪れました!
お寺の正式名は「大雲山 龍安寺」。時の貴族・徳大寺家の別荘があった地を管領・細川勝元が譲り受け、妙心寺の5世住職・義天玄承禅師を開山に迎え創建。応仁の乱で焼失した後、勝元の息子・細川政元により再建。
その後江戸時代の中頃の1797年に建造物を一部焼失し、現在石庭に沿って建つ方丈は「西源院」(龍安寺の境内にある拝観謝絶の塔頭寺院。14枚目。参道がいつもきれい。)より移築されたもの。この建造物も江戸時代初期に建立されたもので国指定重要文化財となっています。水戸黄門こと徳川光圀に寄進されたと伝わるつくばいも。
作庭年代・作者などに“謎が多い”と言われる石庭ですが、細川政元によって方丈が再建された1499年に作庭された――と推測されています。その作者の名として挙がるのは先に名前が出た細川勝元、義天玄承、細川政元のほか、特芳禅傑などの優れた禅僧や、『銀閣寺庭園』などの作者のうち一人としても名のあがる相阿弥、江戸時代の武将&茶人・金森宗和など。
いずれにせよその作庭の謎――作者や十五の石組の意図みたいなものについては様々な先生方が研究されているのでそちらをご一読ください。中根金作さんは寛永年間(江戸時代初期)の作庭説と唱えている。
■龍居 竹之介, 小野 一成『中根金作氏の「竜安寺石庭作庭年代」考証論文に対する疑問』
庭園を好きになって以降、枯山水庭園…とジャンル付けできるものを現在となっては数百箇所と見ているので、見た目・クオリティだけであれば、この石庭を上回るものは沢山ある。当然現代にかけて洗練されていっている。(#京都石庭めぐり タグもどうぞ!)
けれど、この龍安寺の石庭のすごいところは“この表現の最先鋭だった”から。#室町時代の庭園 のタグから見ていても、手数が多いというか豪壮な石組の庭園が多いのがわかる。その中で、これだけ 《 余白 》 をもたせた作品が生み出されたところにこの庭園のスゴさがある。
※そして室町時代の庭園一覧見てて、「ああ、『大徳寺 龍源院』で相阿弥が造った“竜吟庭”は余白があるなあ」と思ったりするけど、自分は研究者ではないのでこれはただの感想です。室町時代後期には大徳寺方丈や真珠庵でも七五三の庭が造られている。
“石庭”以外にも広い境内には様々な季節の花々や美しい苔が。今回は梅林が見頃でした。そして湯豆腐の『西源院』にも入ろうと思っていたんだけどラストオーダー過ぎてた……次こそ!
余談。この龍安寺の石庭には、どの位置から見ても必ず1つ欠ける――というエピソードがありますが、岡山県の奈義町現代美術館にまるで上から龍安寺の石庭が眺められるアート作品『奈義の龍安寺』(荒川修作+マドリン・ギンズ)があります。龍安寺が好きで、アートが好きな人はマスト。
(2013年1月、2016年10月、2020年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)