大正時代に相馬子爵邸庭園として長岡安平により作庭された回遊式庭園の一部が残る、新宿区立の都市公園。
おとめ山公園(旧相馬子爵邸庭園)について
「おとめ山公園」はJR山手線・高田馬場駅と目白駅の中間にある新宿区立の公園。大正時代には旧岩城中村藩主・相馬家の邸宅があった場所で、その時代に相馬家の庭園を長岡安平により回遊式庭園が作庭。現在もその面影が一部残る――ということで初めて訪れました。
さかのぼって江戸時代には徳川将軍家の所有地で、主に鷹狩などの狩猟地として用いられていたそう。一般人が立ち入れなかったことから「御留山」と呼ばれ、それが現在の公園名のルーツとなっています(「乙女」ではなかった)。
明治〜大正時代にかけて所有が徳川家から近衛家・相馬家に渡り、現在のおとめ山公園は相馬家が所有していた敷地の一部とされます。
国指定名勝『旧池田氏庭園』や城郭を都市公園とした「千秋公園(秋田城跡)」「岩手公園(盛岡城跡)」を手掛けた近代を代表する造園家のひとり・長岡安平により築造された庭園は大正3年?4年?に完成。落合崖線の起伏や自然を活かした回遊式庭園は「林泉園」と呼ばれたそうで、現在も公園内に残る“流れ”や池泉は往時からの遺構。ちなみに水源である落合崖線からの湧水は「東京の名湧水57選」にも選定されています。
また近年(2014年)に開かれた「みんなの原っぱ」の芝斜面は相馬子爵邸時代の庭園の姿を復元したものとのこと。
戦後は国有地となり荒廃した時期もあったそうですが、地域住民の要望で1969年に敷地の一部が「おとめ山公園」として開園。そして近年、2009〜2014年にかけて公園の隣接地(かつて相馬子爵邸の敷地だった場所)を新宿区が取得、公園の拡張部として整備され現在の公園の姿に。
この辺の経緯は関連リンクに貼った、新宿区による『おとめ山公園の拡張整備』のPDFが興味深かったので見てみてください!
「みんなの原っぱ」周辺には石灯籠や飛び石、築山もあったけど、これらは長岡安平庭園の遺構ではなく拡張整備時に設置されたもののよう。同じく新宿区立の公園『甘泉園公園』辺りと比べると「日本庭園っぽい姿」が見られるわけではないけど、長岡安平は「伝統的な日本庭園」よりも、新たな時代の都市公園も多く手掛けた造園家。その面影を探しながらの散歩も楽しい…かな?
なお拡張後は新宿区立の公園では「新宿中央公園」に次ぐ規模の公園に。この日も多くの地元の方の憩いの場になっていました。先述の『おとめ山公園の拡張整備』にあるビフォー・アフターを見ていると、現在の公園の姿は本当に開放的に見違えたものになっている。かつては蛍の名所であったことからホタルの飼育やイベントなども行われているので――また別の季節にも散歩に訪れたい!
(2019年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)