近代の実業家・新田長次郎の別荘として茶人・木津聿斎(木津宗詮)が作庭した日本最大級の庭園。国指定名勝。
琴ノ浦 温山荘園について
【12月~2月は休園】
「琴ノ浦 温山荘園」(ことのうら おんざんそうえん)は和歌山の代表的観光地・和歌山マリーナシティ/ポルトヨーロッパからも程近くにある国指定名勝の庭園で、作庭は茶道武者小路千家家元の三代目木津宗詮こと木津聿斎。
庭園とともに大正時代に建築された主屋・茶室“鏡花庵”、浜座敷が国指定重要文化財で、日本遺産『絶景の宝庫 和歌の浦』の構成文化財にも。
2021年5月に約5年ぶりに訪れたのでその際の写真を追加しました。なおその時はCOVID-19の感染対策として主屋は見学できなかったのですが、平常時は建物内も見学可能。名付け親・東郷平八郎や桂太郎、清浦奎吾、秋山好古といったそうそうたる面々の扁額や彫刻家・相原雲楽の欄間が鑑賞できます。
東証一部上場企業で世界有数の産業用ベルトメーカーのニッタ株式会社。その創業者・新田長次郎は明治時代に日本ではじめて動力電導用革ベルトを製作。製革業で財を成すほか地元・愛媛の銀行の役員などもつとめ、近代の大阪で有数の資産家に。
そんな新田長次郎翁が大正時代~昭和初期にかけて造営した別荘が温山荘園。“温山”というのは長次郎の雅号。
名勝“和歌の浦”から取り入れた潮入式の池を中心にしたこの庭園の広さは約18,000坪。江戸時代の大名庭園より後に作庭された個人の庭園としては日本最大級で、昭和の半ばに一般公開がはじまるまでは長次郎個人が健康維持のために利用していた…というスケールの大きさ。
そんな広大な庭園に、大正時代に造営された近代和風建築と茶室が点在。庭園の中心に建つ主屋は1915年(大正4年)に長次郎の娘婿の建築家・木子七郎の設計により完成。過去に自分が訪れた中では松山市の国指定重要文化財の洋館『萬翠荘』の作者で、父親は東京の『明治記念館』(かつての皇居の仮御所)を設計した木子清敬。
主屋は庭園内でも高い視点に建ち、その池や周囲のマツ、対岸の山並みの借景も美しい。
そして庭園の作庭や茶室“鏡花庵”の造営指導にあたったのは木津聿斎。近いところでは岸和田のの『五風荘庭園』や大阪の『四天王寺庭園』にも関わっている茶人ですが、新田長次郎の経歴を見ていたら“四天王寺で葬儀が執り行われた”とある。てことは…四天王寺の庭園の改修の出資者に長次郎が居たりするのかもなあ。
茶室があるのは大きな池泉庭園の東部(東池)。それに対して庭園の最南西部に建つのが“浜座敷”。温山荘園の中で最も古い建築で(1913年・大正2年築)、岩壁の上に縣造りでせり出す姿がかっこいい和風建築。いつか中に入ってみたい…。
浜座敷のある庭園西部(西池)はまた様相が異なる(建物と同時期に先に作庭された?)。池泉の背後にある岩山が迫力を醸し、その中には日本最大級という青石の石橋も。そして岩山はトンネルをくぐることができて、当時のプライベートビーチまでいくことができます。
今回久しぶりに訪れて面白いなと思ったのは、池泉周辺の所々で見られるコンクリートによる意匠。東池の三連の石橋(風の橋)や丸テーブル、池中にあるサークル、浜座敷の脇にある大きな六角形(幾何学的にも思えるけど亀を表わしているようにも見える)。
前回と比べて、自分の中で『近代の贅を尽くした庭園』の感じ方が変わっている。これらの意匠を日本庭園に溶け込ませるというのが、大正時代~昭和初期の新田長次郎にとっての“最先端”だったのだ。たぶん。
そんな日本有数の庭園というポテンシャルを持ちながらも、公式HPで公開されている事業報告書を見ると2019年の入場者が約1万人、コロナ禍の2020年はその半数。入場料収入はひと一人の年収にもなっていない。
でもこれは温山荘園が、という話ではなく、一部の超有名庭園を除いた大多数の文化財庭園施設は同じ状況だと思うのだ。だから『庭園を見る』という行為のそもそもの底上げをしたいよなあ…と思うのです。(だからやはり足立美術館と由志園が年間ウン十万人を越える島根県はすごい)
すごくマツが多い庭園で、管理もめちゃくちゃ大変だと思うので、充分に管理ができるぐらい盛り上がる・注目されるといいなあ。
(2016年10月、2021年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR紀勢本線 海南駅より徒歩25分強(*駅にレンタサイクルあり)
JR和歌山駅・海南駅より路線バス「琴の浦」バス停下車すぐ
〒642-0001 和歌山県海南市船尾370 MAP