近江日野商人館

Omi Hino Shoninkan Garden, Hino, Shiga

日野を代表する近江商人・山中兵右衛門家の屋敷から眺める枯山水庭園。圧巻の資料館は宿場町好きはマスト!

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

近江日野商人館(旧山中兵右衛門邸)について

「近江日野商人館」(おうみひのしょうにんかん)は昭和初期に建てられた国登録有形文化財の近江商人屋敷「旧山中兵右衛門家住宅」を活用した博物館(歴史民俗資料館)。白砂の広がる枯山水庭園があります。

2020年秋、初めて滋賀県日野町を訪れました。2019年に近江五個荘の近江商人屋敷で鈍穴流の庭園に出会い、「近江商人屋敷、良い庭あるなぁ」って思ってから日野の近江商人屋敷の情報にも辿り着き。地味に2020年ずうっと訪れたいと思っていた町。

日野っていうと戦国武将/大名・蒲生氏郷のイメージが強いのですが、江戸時代には城下町ではなく“近江日野商人”の街として発展。重伝建地区にはなっていないけど日野もかなり広範囲に古い町並みやその面影を残しています。滋賀県の中でも行きづらい場所にある――というのがまた惹かれる。

呉服~繊維で成功を収めて京都へ進出していったのが五箇荘の近江商人ならば(藤井家・外村家)、日野商人は焼き物や医薬品薬を全国に売り歩き。そして日野に本宅を残し旅先で店舗をかまえていったのが特徴。
山中家の分家『山中正吉家』が静岡県の富士宮で造り酒屋を営んだ一方で、創業から約300年をほこる本家・山中兵右衛門家は静岡県の御殿場で造り酒屋を営み財を成しました。現在も清水町(三島のあたり)でお店を営むそう。

現在残るこの邸宅は1936年(昭和11年)から戦前にかけての建築群で、主屋、表門、物置、井戸屋形、東蔵、西蔵の6棟が国登録有形文化財。1981年(昭和56年)に日野町に寄贈され、以来ハウスミュージアムとして公開・活用されています。
やはり近代のお屋敷なので奥座敷の欄間や障子の意匠もとてもかっこいいし、そういえば写真撮ってなかったけどやはり洋間も。江戸時代から滋賀には“八幡表に日野裏”という言葉があったとか(近江八幡の商人は玄関に財を注ぎ込み、日野は奥座敷につぎ込むという意味)。

そして建物の北側に枯池と白砂・サツキやツツジの配された枯山水庭園があります。分家の旧山中正吉邸と作庭年代は近いと思うのだけど、また全然印象の異なる庭園。これまでに見た他の近江商人屋敷(近江五個荘含め)は回遊式庭園ばかりなんですよね…その中で広く白砂を引いて鑑賞式の庭園としているのは、この邸宅の贅沢さを感じさせるものかも。

ちなみに、昭和初期にお屋敷を新築した背景には、戦前〜戦中の影響で日野町が大不況に陥り失業者があふれたことが背景にあったとか。それにより地元の名家・山中家は職人の雇用創出のためにこの邸宅を4年もかけて造営。
山形『御苦楽園』や新潟『孝順寺(旧斎藤家本邸)』など、そのような背景で造営されたと言われる庭園は各所にあります。この現代においても、不況時に何か大きな建物が建つとしたら救済の背景があるかもしれない、と思うと見方も変わる(と思う)。

で、この資料館が面白いのは!2階の展示資料館。ここまで壁一面に資料が展示されている資料館は初めて見たと思う(笑)←「笑」って入れたくなるぐらい本当にびっしりなの。圧巻。
“日本最古の国産ワイン”など貴重なものも展示されているのですが、やはりすごいのはその情報量…先述の“旅先で店舗をかまえていった”日野商人が「現在、どの地で、どんな屋号で商売しているか」や「東海道五十三次、中山道六十九次の各宿場町の近江日野商人の軌跡」などが事細かに展示されている。江戸時代から全国に“日野商人のための”情報ネットワークを構築していたってすごいなあ。1回じゃとても見切れないので絶対また訪れる場所。

(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

近江鉄道 水口・蒲生野線 日野駅より約3km(駅にレンタサイクルあり)
日野駅・JR近江八幡駅より路線バス「大窪」バス停下車 徒歩2分

〒529-1603 滋賀県蒲生郡日野町大窪1011 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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