土佐藩主・山内家が参勤交代の際に本陣とした豪商の邸宅。江戸時代末期の書院造り建築は高知県指定文化財。
岡御殿について
「岡御殿」(おかごてん)は高知県東部・田野町にある江戸時代の豪商の邸宅。土佐藩主・山内家が本陣(宿泊所)として用いた江戸時代後期の書院造り建築が高知県指定有形文化財となっています。
2021年の年始、4年ぶりに高知県へ。高知県の庭園や文化財施設、古民家をてくてくと巡りました。
ごめん・なはり線の終点一個手前の田野町。この“四国一小さな町”は参勤交代の街道筋として、また材木の集積する港町として、江戸時代には高知県東部の商業の中心として繁栄。この岡家をはじめ“田野五人衆”と呼ばれる豪商が軒を連ね、現在でも国登録有形文化財の建物がけっこう沢山残る古い町並みを残します。
その中で今のところ唯一有料の公開施設になっているのが「岡御殿」。初代・岡徳佐衛門は山内家に伴って土佐国に移住。その後は代々、材木商・廻船業・質屋業として富を築き、藩の財政にも貢献していたとか。
その御殿は江戸時代後期の1844年(天保15年)に造営された書院造り建築を(保存修復工事を経ながら)ほぼ完全に残している貴重なもの。美しい曲線を描くこけら葺きの屋根や上段の間の欄干の意匠、襖絵、その座敷から眺める庭園の姿からその格式の高さを感じられます。
庭について。残念ながら庭園に関しては“往時の半分程の面積”しか残っておらず、上段の間からのぞむ平庭も主木“青龍姥目樫”がその面影を残すぐらいで目立つ石組や池があるわけではない。だけど隣の家屋の奥には北から南(室戸)へと伸びる安芸山地がちらっと借景に写り込んでいることがわかる。往時は雄大な山の借景をのぞむ庭園だったんだろうなあ…。
その他、建物内では豪商だった岡家が所蔵していた品々の展示や、清岡道之助を中心として幕末の土佐東部に登場し、高知の城下町の志士たちとともに活動した「野根山二十三士」に関する展示も。
高知東部の庭園と言えば『モネの庭 マルモッタン』ですが(前回は自分もそこしか知らなかった)、高知の日本庭園を追うならばこの岡御殿も見る価値あり。またすぐ近隣には同じく県文化財の『旧岡家住宅』があります。
(2021年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)