“大原美術館”創始者・大原孫三郎が名作庭家・七代目小川治兵衛と造った苔の美しい庭園。国指定重要文化財。
旧大原家住宅・語らい座 大原本邸について
「倉敷美観地区」で有名な国の重要伝統的建造物群保存地区“倉敷川畔伝統的建造物群保存地区”。その中心にある「旧大原家住宅」(きゅうおおはらけじゅうたく)は『大原美術館』の設立者であり江戸時代から天領・倉敷を代表する豪商だった大原家の本邸。江戸時代後期建立の主屋・離座敷など10棟が国指定重要文化財となっています。
2020年秋、2年半ぶりに倉敷を訪れました。今回一番行かなきゃ!と思っていたのはここ。2018年4月から「語らい座 大原本邸」として公開を開始。…ってことは前回倉敷来た時にも開館してたはずだけどスルーしてた…。大原家の別邸の庭園『新渓園』を紹介してますが、当然本邸にも庭があるわけで。
そしてその作庭は近代京都を代表する作庭家・七代目小川治兵衛(植治)だった…という話については後述。
江戸時代、新田・塩田開発で新興商人として台頭した大原家。現在地に居をかまえたのは1795年(寛政7年)のこと。明治時代に6代目当主・大原孝四郎は倉敷銀行や倉敷紡績(クラボウ)を設立、そして7代目・大原孫三郎は現クラレの創業など事業を更に発展させ“大原財閥”を築き、大原美術館も開館。
そんな日本を代表する名家の一つですが、江戸時代後期~明治時代の建造物を中心に構成される本邸は土間からはじまり、店の間・おくどさん…と古い商家・町家の姿をそのまま留めていて、地味/質素と言えばそうかもしれない。
道を隔てた別邸『有隣荘』はオシャレな近代和風建築だし、新溪園のみならず全国各地に別邸を造っている(はず)だけど、その中で古い本邸を大切にした…という価値観が大原家が大原家たるゆえんなのかもしれない。
そして施設としてはただ古い建物を見せるのではなく、歴代の大原家当主の残したメッセージを現代アートのような演出で展示。国重文の8棟の土蔵のうち中倉・中内倉では大原家の歴史や大原孫三郎・大原總一郎を紹介する部屋(資料展示)、そして大原總一郎の書斎をイメージしたという、大原家の蔵書が楽しめるブックカフェと続きます。
そして“思案の、間”と名付けられた離れ座敷へ。大原孫三郎や大原總一郎、歴代の当主がくつろいだ建物から苔むした庭園を眺めることができます。
座敷から見るだけでも3棟の茶室が見える。案内の方曰く「茶室には名前がついていない」とのことで、庭園を歩くことはできないので額を確認しに近づくこともできないのですが…。この離れ座敷にもかつて躙り口があったのだとか。大原孫三郎自身がお茶を楽しむための露地庭。
この庭園、“孫三郎が自ら作庭に関わったもの”と公式サイトにあるのですが――そういえば大原家は七代目小川治兵衛のパトロンのひとり。植治も関わってたりするのかなあ…と思いながら鈴木博之著『庭師 小川治兵衛とその時代』を今読んでたら、ビンゴ。《有隣荘以前に本邸の庭園や新渓園も手掛けているよ》的なことが記載されています。新渓園もそうだったのか…!
その優しさを感じる露地――植治だった、という事実を知った後に思うと氏の手掛けた『高山寺 遺香庵庭園』に似ているなぁと感じる。創作垣や変わった手水鉢も孫三郎と植治が対話しながら選んだものなんだろな。この日は雲一つない快晴で写真の影がすごくてその良さが伝わりづらい…次は曇天や雨の日にあえて訪れたいお庭です。
(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)