
海外の日本庭園専門誌で高評価の庭園は、藩主を迎えた建築と庭園が一体化した“市中の山居”。国登録有形文化財。
武家屋敷跡 野村家について
「武家屋敷跡 野村家」(ぶけやしきあと のむらけ)は金沢市内の主要観光地の一つ・長町武家屋敷跡にある公開武家屋敷。主屋、土塀が国登録有形文化財で、その庭園は海外の日本庭園専門誌の庭園ランキング「しおさいプロジェクト」で毎年上位にランクインしています。2020年に約3年ぶりに訪れました!
加賀藩時代の上流〜中流武士の武家屋敷が立ち並んでいた“長町武家屋敷”は現在もその土塀と石畳の路地が面影を残しています。
「野村家」は戦国大名・前田利家の家臣だった尾張出身の野村伝兵衛信貞を初代とし、その後明治維新を迎えるまで十一代にわたり加賀藩の各奉行職を歴任した上級藩士でした。
明治維新後は武家制度の解体により、江戸時代には3,000平方メートルもあったという屋敷も縮小・分割され、菜園や住宅街へ変わっていったそう。現在見られる庭園は残った一部。
所有者も転々とする中で、昭和初期に加賀・橋立の北前船で栄えた豪商・久保彦兵衛の邸宅から大聖寺藩主を迎えていた上段の間・謁見の間が移築されました。格天井や加賀藩のお抱え絵師だった狩野派・佐々木泉景による山水画や大聖寺藩士・山口梅園による牡丹の襖絵が見どころ。
なお、同じく久保彦兵衛の屋敷が移築されたのが加賀市にある『蘇梁館』。ここの説明だと久保彦兵衛も経済的には弱くなって別の資産家が買い取ったーーみたいな感じだったので、野村家も別の資産家がその時所有していたということなのかもしれない。
そして屋敷をL字型に取り囲む池泉回遊式庭園。尾張出身の初代・野村伝兵衛が好んだというヤマモモは樹齢400年を越えていると言われ、だとするとこの庭園も(縮小はしているものの)江戸時代初期に作庭がはじめられたということになります…が、現在のように“屋敷と庭園が一体のような”姿になったのはこの屋敷が移築された昭和初期なんだろう。
すぐ隣を流れている“大野庄用水”を取り入れたこの池泉庭園ーーどうやら、この界隈の武家屋敷にはここから水を取り入れた庭園を作るというスタイルがあったようで(長野市・松代に似てる)、非公開の金沢市指定名勝『西家庭園』は江戸時代のオーソドックスな池泉庭園という感じで、野村家の庭園も元々はこういう感じだったのかもしれない。
結果的に、今の姿が建物と庭園の関係を好む『しおさいプロジェクト』の高評価に繋がっているのかも。奥に向かって水が落ちていて、その音が聞こえる…という姿はまさに「市中の山居」。
また二階のお茶室「不莫庵」ではお抹茶をいただきながら庭園を見下ろすことができます。今回、初めて人が少ない中で鑑賞できたので…今、金沢に行くのなら是非立ち寄ってほしい場所。あとお向かいのお店に現代風の庭園ができてた。
(2015年9月、2017年5月、2020年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR北陸新幹線 金沢駅より2km弱(徒歩25分弱。市内各地にレンタサイクルあり)
金沢駅より路線バス「香林坊」バス停下車徒歩6分
〒920-0865 石川県金沢市長町1丁目3-32 MAP