日渉園跡

Nisshoen Garden ruins, Hiroshima

広島市内随一の古庭園…広島藩医により開かれた薬草園の跡に残る、藩主や家老、蘭学者・高野長英らも訪れた庭園。広島市指定史跡。(要事前予約)

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

日渉園跡について

【通常非公開/見学は要事前予約】
「日渉園跡」(にっしょうえんあと)は江戸時代に広島藩の藩医・後藤松眠により開かれた薬草園/庭園の跡。江戸時代から現存する薬草園として広島市指定文化財(史跡)となっています。現在は広島大学の所有で立ち入るには事前の許可が必要ですが、柵外からもその様子を少々伺えます。

広島市の中心部の北西に位置し、広島市内の紅葉の名所やハイキングコースとして地元の方に知られる三滝山(宗箇山)。一般的な「広島の観光スポット」としての知名度は低いかもしれませんが、実は海外(欧米)の観光客が多く訪れています。

三滝山麓の代表的な寺院『三瀧寺』(重森三玲の庭園が残る)と『誓願寺』の庭園を紹介しましたが、この2つより文化財的な価値は高い庭園が「日渉園跡」。現在は住宅街に囲まれた雑木林の様になっていますが、広島藩の藩主・浅野家や家老、そして藩外から蘭学者・高野長英など、文化人がたびたび訪れたというスポット。

その歴史について。江戸時代後期の寛政年間~享和年間(1800年前後)の頃、広島藩藩医・後藤松眠が藩の施策としてこの地に薬草園を開園。現在残る「日渉園跡」はかつての日渉園の中心部にあった庭園でその様子も鬱蒼としているものの、当初この地が選ばれたのは植物の栽培に向いた日当たりの良い傾斜地だったからで(⇒例『旧島原藩薬園跡』)、その周囲には約8,800平方メートルに及ぶ薬草園があったそう(それがメインだった)。

明治維新後は全国各地で藩営の薬草園が閉園していき、この日渉園も1871(明治4年)に廃園。前述通り現在周囲は住宅街となっていますが、往時の庭園がひっそりと現代に残されています…ひっそりとなんだけど、広島市内で言えば『縮景園』と並ぶ貴重な江戸時代の庭園!(※爆心地から離れている点も加味すると、古さで言えば広島市随一)

その庭園は傾斜地を活かして上段/下段のある池泉回遊式庭園。上段部に残り、外からも見える石橋(太鼓橋)が当時の庭園の面影を伝えます。かつてこの庭園にあった「神農堂」には後藤松眠の子・後藤松軒と親交のっあった(シーボルトに蘭学を学んだ際の同窓だった)高野長英が幕政批判の後の逃亡(脱獄)生活の折に隠れ住んでいました。その建物は現存しないものの、礎石が残ります。

見学には事前に広島大学の担当の課への事前予約が必要です。『縮景園』の様な開かれた観光庭園ではありませんが、文化財史跡が好きな方は立ち寄ってみて。

(2024年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR可部線 三滝駅より徒歩6分
JR横川駅より徒歩20分 ※広島市内には「ぴーすくる」というシェアサイクルがあります。

〒733-0802 広島県広島市西区三滝本町2丁目14 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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