海蔵寺庭園“石組庭園”

Kaizoji Temple Garden, Hiroshima

広島市の数少ない江戸時代の庭園の一つ。幕府と長州藩の談判の場にもなった、広島藩家老・東城浅野家の菩提寺に残る“石組庭園”。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

海蔵寺庭園について

「久遠山 海蔵寺」(かいぞうじ)は室町時代に創建された曹洞宗の禅寺。広島新四国八十八ヶ所霊場第74番札所。江戸時代初期の元禄年間に作庭された庭園“石組庭園”が残ります。2021年春に初めて拝観。

広島市の中心部から約5km。1945年の原爆投下で、同程度の距離の『桜下亭』が被害を免れた一方で、この海蔵寺は江戸時代末期の1840年(天保11年)に建立された本堂が持ち上がる程の爆風が届き被害を受けたそう。境内にはその記録を記した石碑も残ります。

歴史について。室町時代中期の応永年間(1394年~1434年)に慈眼禅師(慈眼大師?)により創建。その後は当地を治めた大名、大内家の家臣・羽仁家や毛利家の家臣・児玉家(いずれも安芸草津城主)、そして浅野家の家老だった東城浅野家の菩提寺として庇護されました。
また幕末の京都で起こった“蛤御門の変”の後には、広島藩仲裁による幕府と長州の談判はこの海蔵寺で行われたとか。

前述の幕末に建立された本堂・庫裏の裏側に庭園“石組庭園”があります(自由拝観)。山の斜面を活かした石組による庭園で、カーブを描くように配された上段の滝石組はこの庭園の一つの特徴。
元々この庭園を知ったきっかけは日本庭園研究会・吉河功さんの略歴から。その中にも“整備調査”とあるんだけれど、この庭園は太平洋戦争の以前、1926年(大正15年)に裏山の土砂崩れにより庭が埋もれる被害に。そして現代に至り、1998年(平成10年)にさんにより発掘・復元されました。

浅野家の『縮景園』とともに、広島市に残る貴重な江戸時代の庭園で――戦前に土砂で埋もれたことが、結果的に庭石が良好な状態で保存されることに繋がったのかな。
幕府側の使者も長州藩の使者も眺めたであろう歴史的な庭園、広島のメジャーな観光スポットではないけど歴史巡りにどうぞ。(※草津駅周辺の旧街道には格子窓の古い町家も幾つか残っているのも◎)

(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

広島電鉄宮島線 草津駅より徒歩2分
JR山陽本線 新井口駅より徒歩20分
広島の市街地から路線バスの場合、「草津町」バス停下車 徒歩6分

〒733-0851 広島県広島市西区田方1丁目1-3 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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