宇多法皇から代々皇族が入寺した“旧御室御所”。世界遺産・国宝寺院に“植治”小川治兵衛が作庭した庭園と“御室桜”が国指定名勝。
仁和寺御所庭園について
「仁和寺」(にんなじ)は世界遺産“古都京都の文化財”にも構成される京都を代表する寺院の一つ。国宝の金堂を筆頭に国の重要文化財の建築が立ち並ぶだけでなく、“御室桜”が有名な京都の有名な桜の名所の一つ。“御室桜”および、近代京都を代表する作庭家・七代目小川治兵衛(植治)により作庭された『仁和寺御所庭園』が2020年に国指定名勝になりました。
2022年には『京の冬の旅』で通常非公開の茶室“飛濤亭”(ひとうてい)とその露地庭園が特別公開。1年半ぶりに訪れた際の写真を追加して紹介。
世界遺産の『金閣寺』、『龍安寺』、そしてこの仁和寺を結ぶ“きぬかけの路”に面した大きな仁王門が出迎えてくれる仁和寺の歴史は平安時代にさかのぼります。886年(仁和2年)に光孝天皇の命で建立がはじまったものの、翌年に志半ばで崩御。888年に仁和寺としての創建を迎えました。
897年には宇多天皇が初代住職として入寺し“宇多法皇”に。“法皇”と名乗った最初のケースになり、現在まで残る“御室”の名は宇多法皇がこの地に自らの“御室”をかまえたことに由来。以来代々皇室出身者が住職をつとめる門跡寺院となり、当時の呼称“御室御所”は現代にも残ります(旧御室御所)。
しかしやっぱり室町時代に応仁の乱の戦乱で大部分を焼失。国宝の金堂のみちょっと年代が早く1613年(慶長年代)に建てられた『京都御所』の宸殿を賜り移築したものですが、それ以外の仁王門・五重塔・御影堂・経蔵などは江戸幕府三代目将軍・徳川家光の援助により寛永年代の終わり頃(1644年頃)に再建されたもの。
有料拝観エリアの“御殿”で仁和寺の庭園を見ることができますが、この御殿は1887年(明治20年)の焼失後に明治時代~大正時代にかけて再建された近代の建築で、大玄関、城書院、黒書院、霊明殿、宸殿などが国登録有形文化財。中でも宸殿は近代に社寺の修復などを手掛けた建築家・亀岡末吉の代表作と言われます。格天井の部屋の意匠もすごい。
ちなみに伊勢の国重文の近代和風建築『賓日館』で名前を挙げた塩野庄四郎もこの仁和寺書院の再建プロジェクトに関わっているとか。
そんな御殿に面した庭園が令和に新たに国指定名勝となった『仁和寺御所庭園』(それ以前は『仁和寺庭園』の名称で京都市指定名勝でした)。江戸時代中期に白井童松により作庭された庭園を元にして、書院・宸殿の再建の際に“植治”七代目小川治兵衛に改修されたのが現在の庭園。
仁和寺御所庭園は“寝殿南庭”“宸殿北庭”と2つの庭園からなります(※その他にも苔と紅葉の美しい中庭なども)。宸殿南庭は同じく天皇の旧御所で真言宗の総本山である『大覚寺』の宸殿前庭と同様に、勅使門を前に広大な白砂が広がり、その中には左近の桜・右近の橘が植えられています。
そして池泉庭園“宸殿北庭”。借景として眺め見ることのできる五重塔に国重要文化財の茶室“飛濤亭”、手前の白砂、そして正面の大滝に北側には山々の風景…とビューポイントがいくつもある素晴らしい庭園。
庭園の文化財指定の範囲には非公開の茶室“飛濤亭”・“遼廓亭”の露地庭も含まれていて、これまでは見る機会がありませんでしたが――庭園の景として遠目から見ていた“飛濤亭”が2022年の京の冬の旅で特別公開!
茶室の間近での撮影は禁止でしたが、それまでの露地庭も見応えあった。こんな苔むした庭園があの築山の上にはあったのか!“飛濤亭”は光格天皇も好んだという茶室、“遼廓亭”は仁和寺の門前にかつてあった尾形家より江戸時代に移築されたもの。すなわち露地庭は江戸時代に作庭されたものがほぼそのまま残っているのでは…と。
今回(2022年3月)は修復の為に拝観できなかった黒書院には近代~昭和の京都の巨匠・堂本印象の襖絵も。最近ではOMURO88も話題。季節ごとに訪れたいお寺・庭園!
(2013年1月、2016年10月、2020年9月、2022年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
嵐電北野線 御室仁和寺駅より徒歩3分
JR嵯峨野線 花園駅より徒歩20分弱
最寄りバス停は「御室仁和寺」下車すぐ
〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内33 MAP