世界遺産・東大寺、興福寺、春日大社の境内も含む日本で最も有名な公園の多様なランドスケープ。国指定名勝。
奈良公園について
「奈良公園」(ならこうえん)は国宝&世界遺産“古都奈良の文化財”の『東大寺』、『興福寺』、『春日大社』等の寺社仏閣の境内も取り込んだ広大な都市公園。奈良の代表的な観光地であり、日本で最も知られる公園の一つとして、国指定名勝、日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選などにも選定。
奈良観光をするたびにどっかしら立ち寄っている奈良公園。その代表的なスポット…庭園/ランドスケープっぽい場所を紹介。
奈良時代に創建された興福寺、東大寺、春日大社をはじめとする社寺の門前町として形成・繁栄したかつての奈良公園一帯。春日野や春日山の風景は『万葉集』にも詠まれる景勝地として古くから知られました。
奈良公園として成立したのは明治時代。明治6年の『太政官布達』で各県に都市公園を開設するよう布達されると、まずは興福寺の公園を境内地として1880年(明治13年)に開園。
奈良公園が開園した時には、奈良は大阪府の一部でした。奈良県が独立した後に奈良公園の拡張・整備に尽力したのが初代県令・税所篤、三代目奈良県知事・古沢滋、そして古沢に招かれた元大阪府会議員で儒学者の前部重厚。前部重厚は“奈良公園の父”とも称されます。その後も現代にかけて改良を重ねていった奈良公園に携わった人物の中には“日本の公園の父”本多静六の名も。
現在その範囲は若草山や特別天然記念物「春日山原始林」まで含めて総面積約660ヘクタール。これは東京ドーム約140個分の広さ。そして奈良に欠かせない鹿も国指定の天然記念物です。
■東大寺大仏殿・東大寺境内(2~6枚目)
“奈良の大仏”でお馴染み。奈良時代に聖武天皇の命で創建された天平文化の代表的な寺院。国宝で世界最大の木造建築「東大寺大仏殿」は江戸時代、1707年(宝永6年)に再建された三代目。
■東大寺転害門(7枚目)
奈良街道に面して建つ転害門。公園の中心部からは離れているので観光客の姿は減るけれど、実はこれが奈良時代から残る唯一の建築。
■春日野園地(8~13枚目)
広大な奈良公園、“日本庭園っぽいもの”は各所にあるのですが、ここが一番明確に“日本庭園”といった形をしている場所。若草山を借景とした池泉回遊式庭園のその先にある大きな現代建築は2015年にリニューアルした「奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~」(旧・シルクロード交流館)。
■みとりゐ池園地(14枚目)
これも奈良街道沿い、国指定名勝『依水園』の前にある細長い園池は、春日大社の一の鳥居が見渡せたことから名付けられた「見鳥居」池。
■浅茅ヶ原園地・浮見堂(鷺池・蓬莱池)(15~17枚目)
公園の南部分にあるのが、春日山を借景として浮見堂の浮かぶ鷺池(蓬莱池)。これは1908年(明治41年)に整備された園池。護岸の石組に所々日本庭園らしさが見えるので、この辺に本多静六が関わってんのかなあ~。
この浮見堂のすぐ傍に、2020年に開園した近代別荘庭園『瑜伽山園地・旧山口氏南都別邸庭園』があります。
■料理旅館 江戸三(18~19枚目)
浅茅ヶ原園地から興福寺へと至る途中にある、文人墨客に愛されたっぽい雰囲気がある数寄屋風建築群。こういう所に泊まりたい。
■奈良国立博物館~興福寺大湯屋と苑池~興福寺五重塔・東金堂(20~21枚目)
そして国宝・興福寺へ。最盛期には170もの寺坊があった興福寺。冒頭で「興福寺の境内に開かれた奈良公園――」とサラッと書いたけど、料亭旅館『菊水楼』の中で書いたように明治時代はじめに廃仏毀釈によって甚大な被害を受けたからこそそれだけの土地が表れた…とも言える。その辺の歴史はもう少し知りたいところ。
そして鹿はいつも愛らしいのんびりした姿を見せてくれる。癒されたくなったら奈良公園へ。
(2014年1月、2016年5月、2018年9月、2020年7月、2021年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
近鉄奈良線 近鉄奈良駅より徒歩約15分
JR関西本線 奈良駅より徒歩約25分
路線バス多数あり、駅周辺にレンタサイクル複数あり
〒630-8212 奈良市春日野町ほか MAP