長浜八幡宮 放生池

Nagahama Hachimangu Shrine Garden, Nagahama, Shiga

豊臣秀吉(羽柴秀吉)が長浜城主だった安土桃山時代に再建された神社と長浜市指定文化財(名勝)の庭園“放生池”。小堀遠州が茶室を建立した『舎那院』も隣接。

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長浜八幡宮について

「長濱八幡宮」(ながはまはちまんぐう)は滋賀県長浜市にある平安時代より続く神社。境内にある「放生池」は豊臣秀吉(羽柴秀吉)が八幡宮を再建した際に作庭と推測されている安土・桃山時代の庭園で、長浜市指定文化財(長浜市指定名勝)。また八幡宮を中心に毎年4月に行われている『長浜曳山祭』は“日本三大山車祭”の一つに挙げられ、国の重要無形民俗文化財(「長浜曳山祭の曳山行事」)やユネスコ無形文化遺産となっています。

秀吉ゆかりの『長浜城』の城下町であり、「黒壁スクエア」を中心とした北国街道の宿場町~『大通寺』の門前町としてレトロな古い街並みを残す長浜。その旧市街の東側、長浜駅から徒歩15分程の場所に位置するのが『長浜八幡宮』。

その歴史について。平安時代の1069年(延久元年)、後三条天皇の勅願を受けた武将・源義家によって『石清水八幡宮』から分霊を迎える形で創建。以降も《本宮の石清水八幡宮を凌ぐくらいであった》と言われる程繁栄したそうですが、戦国時代に織田信長浅井長政が激突した姉川の戦いの戦火に巻き込まれて当時の社殿・境内は焼失。

浅井氏の滅亡後、1574年(天正2年)に長浜城主となったのが羽柴秀吉。以来、秀吉の支援の下で八幡宮は再建。1581年(天正9年)?1591年(天正19年)?に社殿が再建され、それと同時期に先述の『長浜曳山祭』が始まったとか。
なお現在の本殿は明治時代の再建。建造物の文化財はないのですが、立派な石鳥居や石造の太鼓橋が迎えてくれ、また宝物として滋賀県指定有形文化財/長浜市指定文化財の書物、美術工芸品を多数所蔵しています。

そんな八幡宮の境内の中心~西部にある池泉「放生池」。八幡宮が再建された天正年間に一緒に築かれたと推測されている池泉で、「庭園」として長浜市指定名勝となっています。

神社に「神苑」と名付けられた池が存在することはよくあると言えばあるのですが、名勝(文化財)にまでなる例は寺院の庭園と比べると(なぜか)少ない。
例えば滋賀県の湖東エリアでは『多賀大社』の庭園は神社だけどプライベートスペースにある庭園なのでお寺の庭園に近い。オープンスペースである神苑で言うと滋賀は『阿自岐神社庭園』等もそうですが、全体で見れば寺院よりは少ない――。

その中でこの放生池が名勝(文化財)となっているのは、前述の秀吉によって再建された歴史的な要素と、中の島のその豪快な石組などの作風によるもの(なのだと思います)。島の中に建つ『都久夫須麻神社』も檜皮葺の屋根がかっこよく、池泉との一体感が素晴らしい!

また、八幡宮に隣接する(ほぼ一体化して繋がっている)寺院『舎那院』も歴史あるお寺。元々は八幡宮も平安時代初期に空海により創建された『新放生寺』の一部(神仏習合)で、舎那院も新放生寺の塔頭寺院でした。(通常非公開の庭園『旧妙覚院 汲月亭庭園』もそう。)
明治時代に神仏分離令で新放生寺やその塔頭寺院は廃寺となりますが、舎那院のみ存続。本堂の奥にある護摩堂(不動堂)は八幡宮よりも古い室町時代後期の建築で、滋賀県指定有形文化財。

この舎那院にかつてお茶室を建立したのが、長浜出身でもある江戸時代を代表する大名茶人/作庭家・小堀遠州。現在は国指定重要文化財となっている茶室「旧舎那院忘筌」(八窓庵)は現在札幌市の『中島公園』に移築、公開されています。舎那院の前庭もモミジが美しい池泉庭園が。長浜観光の際は長浜八幡宮にも足を伸ばしてみて。

(2018年11月、2025年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR北陸本線 長浜駅より徒歩15分

〒526-0053 滋賀県長浜市宮前町13-55 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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