浜松城、松江城主を務めた堀尾吉晴による“常磐の庭”と伊勢神宮を表現した枯山水庭園“さざれ石の庭”。
妙心寺 春光院庭園について
【通常非公開】
妙心寺の塔頭寺院「春光院」(しゅんこういん)は江戸時代に初代松江藩主となった堀尾吉晴(個人的には家康の後の浜松城主!といった印象が強い)が長男・金助の菩提を弔う為に桃山期の1590年に創建した寺院で、堀尾家の菩提寺。通常非公開ですが2019年夏に夜間特別公開・ライトアップ『夜、金の秘密が見えてくる』が開催され、その期間中(最終日!)に足を運びました。個人的には暗くなる前の庭園を観てみたかったので、完全に日が落ちる前の時間。
松江藩主となった堀尾家は三代・堀尾忠晴が子孫を残さずに病死したため三代で断絶。その後は堀尾家と血縁関係にあった石川家(近江膳所藩主などを務めた石川忠総の正室が吉晴の娘)がこのお寺を支え、それまでの俊厳院(峻厳院?)という名から現在の「春光院」へ改めました。
写真で言うと6枚目の方丈西庭“常磐の庭”は堀尾吉晴による作庭と言われ、冒頭及び7〜12枚目の方丈前庭は石川家によって幕末の1867年に作庭されたもの。その枯山水庭園“さざれ石の庭”(伊勢の庭)は江戸時代中期〜後期にかけて11代の間、伊勢亀山藩主を務めた石川家が伊勢神宮を崇拝していたことから伊勢神宮の風景を表現したと言われます。
背後の苔、築山部分が内宮・外宮を表し、白砂の流れが五十鈴川や伊勢湾を表している縮景のお庭。庭園の右手側の奥、石橋の向こうの奥にあるさざれ石に光を当てることが今回のライトアップの一つのポイントだったそう。
そして今回のライトアップではお堂内も撮影可でした。方丈襖絵は江戸時代後期、狩野派の狩野永岳によって描かれた複数の金箔画。
そして堂内に配されていた銅鐘は元は織田信長によって建立が認められた四条の「南蛮寺」で用いられていたもの。IHSと書かれたイエズス会の紋章が写真でも確認できますが、日本へキリスト教が伝来した初期の貴重な遺産として国指定重要文化財になっています。
なお先に書いた通り通常非公開ですが(昼間の拝観について公式アカウントにお聞きしたところ、行っていないとのこと)、外国人の方向け?の宿坊や座禅体験などは随時受付ておられるようです。公式サイトも全英語…というのも明確な方向性を感じる…。情報は今後も公式サイトをチェック!
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 花園駅より徒歩約10分
嵐電北野線 妙心寺駅より徒歩5分
最寄バス停は「嵐電妙心寺駅前」または「妙心寺北門前」。いずれも徒歩5分程
〒616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町42 MAP