妙青寺雪舟庭

Myoseiji Temple Sesshu Garden, Shimonoseki, Yamaguchi

かの水墨画家・雪舟の作庭と伝わる心字池庭園と、妙青寺門前の隈研吾建築『川棚温泉交流センター 川棚の杜』も。

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妙青寺雪舟庭について

「妙青寺」(みょうせいじ)は室町時代に長門国守護・大内持盛により開かれた寺院。本堂の裏に残る心字池庭園はかの水墨画家・雪舟による作庭と伝わります。併せて、山門(御成門)のすぐ前にある隈研吾建築『下関市川棚温泉交流センター 川棚の杜』も紹介!

2019年秋の山口旅行。目的は『月の桂の庭』、第一無鄰菴こと『東行庵』、そして城下町長府と――下関市の雪舟庭園。山口県〜島根の益田方面に複数の庭園を残した雪舟ですが、下関市にも雪舟が築庭したと伝わる庭園が残ります。それが、平安〜鎌倉〜室町時代からの歴史をほこる川棚温泉の温泉街の高台に位置するこの寺院。(確かに山口⇒島根の通過地点ではある)

創建は1416年(応永23年)または1431年(永享3年)。長門国守護・大内持盛が先代の大内盛見の菩提寺『国清寺』として建立。その後大内氏は毛利氏に滅ぼされ、大内義隆の部下・杉連緒(すぎつらつぐ)が義隆の菩提を弔うために修理、そして『瑞雲寺』という寺名に。

江戸時代に初代の長府藩主・毛利秀元が実姉の妙青大姉をこの地で埋葬した際に伽藍を再度修理、その際に現在の寺名になったそう。以後、藩主・毛利家に庇護され、三代目藩主・毛利綱元が温泉(御殿湯)に訪れた際に山門や鐘楼を再建したそう。現在も残るものがそれとは書かれていないけど――おそらくその当時のものなのかな?

そして雪舟等楊の作庭と伝わる心字池庭園。石組等がよく見えず、どの程度室町時代から残っているものなのか(その後の改修を経ているのか)はわからないけれど、雪舟作と伝わる庭園の中では比較的規模が大きい回遊式庭園。春にはツツジ、秋にはモミジが美しいそう。
更に、庭園から離れて、妙青寺の傍らにある寺堤の自然のフジの花が水面に垂れた姿は、”絶景プロデューサー”詩歩さんの『死ぬまでに行きたい!世界の絶景新日本編』という本でも紹介されたのだとか。

また御成門の脇には種田山頭火の句碑「湧いてあふれる中にねている」が建ち、公開はされていない?けど御本尊は行基の作とされます。

下関市川棚温泉交流センター 川棚の杜

…という感じで、雪舟庭園を見られたという点ではこれで十分だったのですが、御成門の前にめちゃくちゃかっこいい現代建築があって…!
川棚温泉地域のコミュニティセンターであり、烏山民俗資料館や交流室、そして川棚温泉を大層気に入ったという世界的ピアニスト、アルフレッド・コルトーにちなんで名付けられた”コルトーホール”などなど。コルトーホールからの山の眺めがめちゃくちゃ良いのです。(そして広場にはコルトーの銅像が)

外観が割とコンクリート感ある見た目だし、建物内の蜘蛛の巣のようなむき出しの配管もかっこよくって――設計者についてお聞きして「隈研吾建築都市設計事務所さんです」って言われた時に割と驚いた。隈建築でここまで“木材”がないもの見たの初めてかも。イメージは鍾乳洞…!とのこと。

2010年に開館したこの建築で、隈研吾さんは2012年日本建築学会作品選奨を受賞。ちなみに外構を担当したのは有限会社梅田建設さん。
2005年頃の川棚温泉は「川棚温泉・生活芸術宣言」と称し、隈研吾さんのみならずデザイナーの原研哉さんを招いてワークショップなどを開催されていたそう。そして、隈建築がもう一つ…妙靑寺から約5km程の場所にある『安養寺』の“安養寺の大仏”収蔵庫も隈研吾建築。知らんかった…行きたかった…!次回訪れる際は川棚温泉に宿泊したい。

(2019年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陰本線 川棚温泉駅より路線バス「川棚温泉」バス停下車 徒歩8分(下関駅からの便も)
川棚温泉駅より徒歩約30分

〒759-6301 山口県下関市豊浦町大字川棚5192 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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