織田信長が京都で定宿にしたゆかりの寺院で、新緑の季節と秋に特別公開される紅葉の名所庭園“法姿園”。
妙覺寺庭園“法姿園”について
【期間限定公開】
「北竜華 具足山 妙覚寺」(みょうかくじ)は織田信長が京都に上洛した20数回中18回宿舎にしたゆかりの寺院であり、日蓮宗の本山寺院で“日蓮宗京都八本山”の一つ。庭園“法姿園”が例年新緑の季節(5月)と秋(11月〜12月上旬)に特別公開されます。2021年秋に初めて拝観!
ちなみに“具足山”という山号は先に庭園を紹介した『妙顕寺』、『立本寺』と同じで、“龍華の三具足”と並び称されるそう。
その歴史は南北朝時代/室町時代の1378年(永和4年)に創建。当初は開基・日実上人の支援者だった小野妙覚より寄進された四条大宮の地に開かれ、その後に室町幕府9代目将軍・足利義尚の命で二条衣棚の地に移転。
1583年(天正11年)に豊臣秀吉の新たな都市計画によって現在地に移転。現在残る伽藍・建造物は1788年(天明8年)の天明の大火で焼失して以降に再建されたものが中心で、本堂・祖師堂・華芳宝塔などが京都府指定有形文化財。
唯一、大門は豊臣秀吉の“聚楽第”の裏門として造営された桃山時代の建築で、江戸時代初期にこの地に移築されたと伝わる由緒があるもの。その他、国指定重要文化財の書物や木造日蓮坐像を所蔵。
その庭園“法姿園”は客殿の前の苔庭に多くの紅葉が植えられた、シンプルな“自然庭園”。法華経の中の“諸法実相”という教えの「あるがままで素晴らしい」という意味に則った、お掃除だけでその他の手は加えずに維持されてきている庭園。晩秋には正面も足元も紅色に染まります。
最後に織田信長との縁について。元々は美濃国の戦国大名・斎藤道三が武将になる前の幼少期に妙覚寺で出家するなど縁が深く、その子であり信長にとっても義弟になる日饒ものちに妙覚寺の住職に。そこから信長の京都での定宿となり、本能寺に泊まったのは3回だけ→その3度目が“本能寺の変”。その日は妙覚寺を宿舎としていたのは信長の子・織田信忠。
信長が滞在した中で1573年(天正元年)11月には千利休による茶会も開催され、今回の特別拝観ではこの茶会で出された武家の御膳“本膳料理”の再現の展示も。次回は新緑の季節にも訪れたい!
(2021年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)