文豪・武者小路実篤が晩年を過ごした自邸敷地に開かれた公園、作庭は中島健。国登録有形文化財の新興数寄屋建築“実篤邸”も素敵!
実篤公園(旧武者小路実篤邸庭園)について
「実篤公園」(さねあつこうえん)は近代〜昭和に活躍した文豪・武者小路実篤の邸宅の敷地に開かれた公園で、作庭は昭和の東京を代表する造園家のひとり・中島健。公園内にある旧邸“実篤邸”は「旧武者小路実篤邸主屋」として国登録有形文化財で、土日祝の11〜15時のみ内部公開されています。『調布市武者小路実篤記念館』を併設。
東京在住だった頃に自転車ですぐ付近を通りかかっていたものの立ち寄ったことがなかった実篤公園…2022年5月に初めて訪れました!
学生時代に志賀直哉・木下利玄と交友を深め、25歳の時に志賀・有島武郎・有島生馬・柳宗悦らと共に『白樺』を創刊。以来60年以上、“白樺派”の中心的な小説家として作品を発表するだけでなく、“新しき村”の創設や美術・アート方面での活躍など幅広い創作活動で名を残した武者小路実篤。
この実篤公園は氏が晩年の1955年〜1976年(昭和30〜51年)の約20年間を過ごした自宅の敷地・建築が没後に調布市に寄贈され、公園として開かれたもの。公園としての開園時の設計を中島健が手掛けています。
武蔵野台地を形作る“国分寺崖線”の自然の斜面や湧水池を含む約5,000平方メートルの敷地内に自邸を構えた武者小路実篤。これは《水のあるところに住みたい》という実篤の子供の頃からの願いを実現させたもので、現在も園内には“上の池”“下の池”と2つの池泉があります。
実篤は池で鯉を飼い、そして集まる野鳥の餌場などを設けていたとか。現在の園内も《できる限り実篤が暮らした当時のまま保存》されたものだそうですが、“下の池”にある滝石組(「あぶない、入らないで!」とある)は公園開園時に手が加えられたものかな…。梅、桜、藤、花菖蒲、紫陽花、椿、モミジなど四季の草木が植えらた園内で一押しなのは“ヒカリモ”。
敷地の高台部に『実篤邸』があります。これがまた自分好みの“昭和の近代数寄屋建築”…!(木造平屋なんだけど、)コンクリート造っぽい箱っぽさに、数寄屋風の和室もあれば洋室もある和洋折衷さ、そして広く明るくとられた窓やサンルーム…。建築内部は撮影不可。残念…!
建築の設計を手掛けたのは山口芳春。画家の山口蓬春さんとは別の山口芳春さんなのだけど、『旧山口蓬春邸』(吉田五十八建築)が好きな自分にはどストライク。あんまり名前が残ってない建築家さんのようだけどめっちゃ気になるなあ…。
隣接する『調布市武者小路実篤記念館』は没後10年後の1985年(昭和60年)に開館。実篤の作品・本、手紙や原稿、美術品などが所蔵・公開されています。また紅葉の季節にも訪れてみたい公園/邸宅!
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)