明治維新の代表的政治家の一人・山縣有朋が名作庭家・七代目小川治兵衛(植治)と作り上げた“近代日本庭園の傑作”。借景の代名詞的庭園で、国指定名勝。
無鄰菴(無鄰庵)庭園について
「無鄰菴」(むりんあん)は2度の内閣総理大臣をはじめ各種大臣/陸軍大将を務め、元帥/元勲/元老として近代の日本の政治に大きな影響力をほこった明治維新後を代表する政治家の一人・山縣有朋の旧別荘。その庭園は近代京都を代表する庭師・七代目小川治兵衛(植治)が作庭した初期の傑作で、『無鄰庵庭園』として国指定文化財(国指定名勝)となっています。
“近代日本庭園の最高傑作”との声も多い無鄰菴。何度も訪れていますが、2022年1月の雪の日の写真を追加しつつ四季の写真を紹介。
その歴史について。この「無鄰菴」は1894年〜96年(明治27〜29年)の造営。
時に“第三無鄰菴”と呼ばれることもあり、“第二無鄰菴”は同じ京都市内で『がんこ高瀬川二条苑』として公開中、初代無鄰菴は“奇兵隊のふるさと”山口県下関市の吉田にある高杉晋作の菩提寺『東行庵』となっています。初代無鄰菴は“隣に家がなかった”という名の通りの自然に近いロケーション。三代に渡ってこの名を用いたということはよっぽど山縣はこの名前を気に入っていたのかな。
また日本史の中では政治家/軍人として有名な山縣有朋ですが、庭造りをガチの趣味(?)としていて、この第一〜第三の無鄰菴以外にも東京の『ホテル椿山荘庭園』、小田原の『古稀庵庭園』が“山縣三名園”と並べ称されるなど各地に邸宅・庭園を残しています。すぐ手放したという“第二無鄰菴”以外は全て山や台地が近い/斜面を活かしたロケーション。
無鄰菴庭園の特徴として挙げられるのは、『東山の借景』『早々に庭園に芝生が取り入れられたこと』、そして『琵琶湖疏水からの“流れ”』。そしてこれらを、今では名作庭家として知られる七代目小川治兵衛(植治)が主導したのではなく、まだ35歳と若かった植治に対して山縣有朋本人が細かく指示を出してこだわって造られた――という点。
現代では当たり前の芝生の空間も、その時代の京都では「京都の人間ではないヨソモノの山縣有朋がそれまでの型を破った(よく言えば欧州視察などを経て最先端の)形式」。植治もこの庭園をきっかけにブレイクしたと言われます。(近隣にある『並河家庭園』を見ると「元々めちゃくちゃセンスはある方だったんだろう」とは思うけれど。)
冒頭にも“近代日本庭園の最高傑作”との声も…と書いたけど、無鄰菴の庭園をフェイバリットに挙げる庭師さんや造園設計の方は結構多い。
もっと広かったり、歴史や格のある庭園が京都や東京にあるのになぜなんだろう?と思うと…『都市における住宅庭園の傑作』なのかなぁと。大名庭園や寺社仏閣の庭園はある意味「別の世界」。だけれど無鄰菴は(首相の別荘という格はあるけれど)もう少し生活を近く感じられる。
芝生の平庭の中にもすごく緩い斜面を作り、借景の東山への“連続性”を表現していることで『空間以上の広がりを感じられる』という空間構成、そこも自分が知る庭師さん・設計者さんが“一番好き”と口にするポイントである。『借景』という言葉が最も似合う庭園の一つ。
なお和風の主屋や洋館も明治時代に建てられたもので、洋館の2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画に囲まれた部屋があり、そこでかつて山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎により日露戦争へ向けた“無鄰菴会議”が行われました。
無鄰菴は昭和年代に山縣家から京都市に寄贈され、現在は京都市所有の施設として一般公開されています。現地では『南禅寺』界隈の庭園を数多く管理されている植彌加藤造園さんのスタッフによる庭園の解説がお聞きできたり、毎月28日には35歳以下は入場無料(!)という試みも。イベント情報は公式サイトよりチェック!
(2013年1月、2016年5月、2019年8月・10月・11月、2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京都市営地下鉄東西線 蹴上駅より徒歩6分/東山駅より徒歩10分
最寄バス停は「南禅寺・疏水記念館・動物園東門前」バス停 徒歩3分
〒606-8437 京都府京都市左京区南禅寺草川町31 MAP