
世界遺産“明治日本の産業革命遺産”に登録された三井三池炭鉱。“国内最大の炭鉱”で栄えた街で賓客を迎えた明治時代の洋館と昭和天皇も御巡幸された庭園。
三井港倶楽部について
「三井港倶楽部」(みついみなとくらぶ)は福岡県大牟田市に明治時代に建築された洋館。大牟田市指定有形文化財/大牟田市指定景観重要建造物。2015年に世界文化遺産に登録された『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の「三池炭鉱関連資産」…には含まれないものの、関連する近代化産業遺産に位置付けられています。洋館の前に広がる庭園(芝庭)も往時より残るもので、昭和天皇を始めこの倶楽部を訪れた皇族による植樹が見られます。『三池炭鉱三川坑跡』が隣接。
“日本庭園”って感じのスポットではありませんが(一応こじんまりした日本庭園があるにはあるけどメインは芝庭)、世界遺産『三池炭鉱』を経営した三井財閥ゆかり&皇族や政財界人も訪れた庭園で訪れたかった場所。2024年に初めて訪れたので紹介。
その歴史的洋館は現在はフレンチレストラン/結婚式場として活用されていますが、開館時間中は未使用の部屋を見学することもできます(スタッフの方に状況をお聞きください)。
明治時代から昭和の戦後に掛けて日本のエネルギーと近代化を支えた『三井三池炭鉱』。その玄関口として1908年(明治41年)に築港された三池港の程近く、三池港の開港とともにに竣工したのが三井港倶楽部。そのハーフティンバー様式のオシャレな洋館は三池港に入港した船舶の船員(※外国人など位の高い船員)の休憩所として計画・建立されたもの。その設計・施工を手掛けたのは清水組(現・清水建設)三代目・清水満之助で、当初は和館も併設していたのだとか。
その豪華絢爛な建築は船員の休憩所としてだけで終わるはずはなく、1949年(昭和24年)に御巡幸された昭和天皇を筆頭に、政財界人が訪れた際の三井三池炭鉱の迎賓館として用いられました。戦後は所有者が変遷し、現在も民間企業の所有ですが、大牟田市民に開かれた“大牟田の迎賓館”として親しまれています。
洋館の南側に芝庭が広がります。昭和の戦後、GHQに接収された折にテニスコートが設けられた事もあったそうですが、現在は一面の芝庭となっています(その中にツツジ/ソテツ/マツ/コニファー/皇室により植栽されたサクラなど四季の花木が植栽)。近年(三池港開港100年を迎えた2008年〜)は市民によるバラ園も設けられました。庭園の一角には三井三池炭鉱を牽引し(茶人としても知られる益田鈍翁の後任として)三井財閥の総帥となった團琢磨の胸像が設置されています(建物内には肖像画も)。
敷地奥へと進むと、1940年(昭和15年)に開坑した三池炭鉱の最主力坑『三川坑』の跡が残ります。平成時代、1997年に閉山するまで三池炭鉱の最後の坑口として現役だったのが三川坑。(文化財指定に含まれていないのは近年まで現役だったから?)
三井港倶楽部から三川坑跡へ歩く途中に「中庭」と名付けられた池泉式の日本庭園があります。現在は鯉の保護のために一面カバーが掛けられ“日本庭園”としての造形からは離れてしまっているけれど、昭和天皇が御巡幸されるに当たって作庭された由縁のある庭園。洋館と共にこちらもチェックしてみて!
(2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR鹿児島本線/西鉄大牟田線 大牟田駅より2km(徒歩25〜30分)
大牟田駅より路線バス「三川町一丁目」バス停下車 徒歩3分
〒836-0062 福岡県大牟田市西港町2丁目6 MAP
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