これはきっと夢窓疎石好み。弘法大師空海が平安時代に創建した古刹、自然の岩肌を活かし境内全体を庭園とする岐阜市指定名勝の文化財庭園。
三田洞弘法 法華寺庭園について
「三田洞弘法」(みたほらこうぼう)の愛称で地元に親しまれる岐阜県岐阜市の「霊鷺山 法華寺」(ほっけじ)。平安時代に弘法大師空海により創建された高野山真言宗の古刹で、その庭園が「法華寺庭園」として岐阜市指定名勝の文化財庭園となっています。
同じく岐阜市指定名勝の庭園『真長寺の石庭』を訪れた際に存在を知り、そこからなかなか岐阜市周辺の庭園を訪れられていなかったのですが、2024年秋に初めて拝観に訪れました。同日に訪れた『大龍寺』、『東光寺』も素敵でしたが、こちらも素晴らしかった…!わかりやすく紅葉が目立つお庭ではないので玄人好みかもしれないけど――
JR/名鉄の岐阜駅から約9km、岐阜城(岐阜公園)から5kmほど北側に位置する法華寺。岐阜市で最も高い山「百々ヶ峰」の北西の麓に佇みます。
その歴史は古く、平安時代初期の816年(弘仁7年)に弘法大師空海により創建されたと伝わります。嵯峨天皇の勅願寺として「法華寺」の名を賜り、当初は山の麓ではなくもっと山の奥に七堂伽藍を揃えていたそうですが、江戸時代初期の1620年(元和6年)に火災と山津波により廃墟と化してしまいます。
直後の1623年(元和9年)、当時の郡代・石原清左衛門の尽力により現在地にて再建。江戸時代中期(1705年)に美濃高富藩が成立すると初代藩主・本庄道章(将軍・徳川綱吉と桂昌院の縁戚)に帰依され、以来明治維新まで10代続いた藩主・本庄氏の祈願寺に。現在まで「三田洞の弘法さん」として地域の方に信仰されています。空海作と伝わる秘仏の他、岐阜市指定文化財の両頭愛染明王坐像、木造阿弥陀如来立像を所蔵。
前述通り、現在の境内はおおよそ江戸時代初期に再建されたもの。本堂や池にせり出すように建つ庫裏(見た目は「客殿」のよう)、茶室もその時から残る古建築でそれらも貴重なのですが。庭園目線で見ると、「境内全体が池泉回遊式庭園」というとても面白い構造になっているのがこの法華寺の特徴!
庭園も建築と同時期に作庭され、その後1839年(天保10年)に当時の住職、阿闍梨康長と長良村の黄池如水という人物と地域の村民により改修。
大体お寺の庭園って、メインの建物(本堂・方丈・客殿・書院など)に上がって、その前方や後方にある。けれど、法華寺は山門をくぐったら目の前に池泉庭園があり、その中央に架かる石橋(鶴峰橋)を渡って本堂へと至る。「放生池」を渡ってその先に伽藍がある…という寺院は他にもあるはあるけど(京都で言うと『永観堂』など)、文化財指定されている放生池は他にあまり無く、ここまで「庭園」として世界観が完成している放生池も稀有な存在。
山(鐘戸山)の岩壁を築山(山号にもなっている天竺の「霊鷺山」に見立てられている)として活かしているビジュアル面や中央の橋を渡ってお堂へと至る構成は『永保寺庭園』の様でもあり、山門側から見ると横長の大きな池泉は『天龍寺庭園』を思い起こす。きっと夢窓疎石はこのお庭好きだろうな…。
その様な自然の岩肌の風景もカッコよいし、本堂・庫裏・茶室がこの庭園の「ビューポイントかつ添景物」という点も面白い。池にせりだす庫裏とそれに並ぶ茶室は通常の自由拝観では上がれませんが、外観だけ見てもかなり「数寄」な庭園…。
秋には参道や山裾に多く植わったモミジが赤く染まる紅葉の名所に。春にはサツキ、ツツジ等の花々が楽しめるそう。また境内中央(池の手前)に残る菩提樹は空海のお手植えと伝わり、「三田洞弘法のボダイジュ」として岐阜市天然記念物となっています。
すぐ隣には公衆浴場『岐阜市三田洞神仏温泉』があります。その利用者?がそのまま参拝に訪れる人の流れがあるようです(法華寺境内にはお稲荷さんもあるけど、温泉の名前も「神仏習合」感がある)。今後より多くの方に知られて欲しい文化財庭園!
(2024年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR東海道本線 岐阜駅・名鉄 名鉄岐阜駅より約9km
JR岐阜駅/名鉄岐阜駅より路線バス「三田洞」バス停下車 徒歩10分強
〒502-0004 岐阜県岐阜市三田洞131 MAP