重森三玲が安土桃山時代の作庭と認めた…近江国守護大名・六角義賢が室町幕府15代将軍・足利義昭の為に作庭したとも伝わる豪快な石組の枯山水庭園。
松尾神社庭園について
「松尾神社」(まつおじんじゃ)は滋賀県東近江市の中心市街地、近江鉄道・八日市駅のすぐ裏手にある神社。境内にある枯山水庭園は昭和の京都を代表する作庭家・重森三玲が調査・発掘し、安土桃山時代の作庭と認めた古庭園。東近江市指定文化財。
2023年に約4年ぶりに訪れました。その際の写真を追加して紹介。
神社の歴史について。古くは飛鳥時代、聖徳太子が市場を開いた時に鎮座したと伝わるお社で、聖徳太子が創建したと伝わる古刹『瓦屋寺』の別院・延命山尊勝寺の鎮守社として中世まで広く信仰を集めたとか(最も古い記録では平安時代の初めの852年に建御雷神(たけみかづちのかみ)を祀って興ったとも)。
しかし戦国時代、尊勝寺は織田信長の佐々木攻めの兵火により荒廃。現在の『松尾神社』の名となったのは江戸時代中期で、1775年(宝暦5年)に京都の『松尾大社』より御分霊を勧請して現在に至ります。現在見られる本殿・拝殿は江戸時代後期の文政年間(1825年/1830年)の建築。また本殿に安置されていた「こけら経」は近年滋賀県指定有形文化財となりました。
そして拝殿の脇に佇んでいる枯山水庭園。安土桃山時代の庭園…と言うと構えてしまうけれど、とても気軽に自由に鑑賞できるのがこの庭園の一つの特徴でもあり、そんな気軽に見られる庭園だけれどその石組の豪勢さと規模の大きさは(素晴らしい庭園の多い)滋賀県の中でもかっこいい庭園じゃないかと!
“禅”の枯山水ではなく、豪勢な石組による鶴亀島を大きな石橋で渡した「蓬莱式枯山水」と呼ばれる庭園様式。この庭園の作庭にはいくつかの伝承があるそうですが、元は神社の庭園ではなく“この地にあった武家屋敷の庭園として造営されたもの”というのが現在推されている説。
それもただの武家屋敷ではなく。室町幕府15代目将軍・足利義昭が京都を追われ近江国の守護大名・六角義賢(佐々木義賢)を頼った際、義昭の迎賓のために義賢が作庭したとも言われます。その作風や年代が同じく足利義昭が頼った朝倉義景の『一乗谷朝倉氏遺跡』の庭園群や、『旧秀隣寺庭園(興聖寺)』等と類似性があることからそう類推されているとのこと。
その類推がもし正しければ――と言っても正しいかどうかなんて分からないけれど、歴史のロマンを感じさせてくれる枯山水庭園。京都の寺社仏閣で見掛ける“枯山水”とも全く違う石庭という意味でも一見の価値あり!先述の古刹『瓦屋寺』や『太郎坊宮』含めた神社仏閣巡りもオススメ。
(2019年3月、2023年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)