松平不昧公も松江城から船で度々訪れた茶室と庭園…細川三斎を祖とする三斎流茶道の宗匠好みの茶室・茶庭。
普門院庭園・茶室“観月庵”について
「普門院」(ふもんいん)こと松高山願応寺は江戸時代初期の慶長年間、松江藩初代藩主・堀尾吉晴が松江城を造営した時に松江城の祈願所として創建された天台宗の寺院。庭園の一角には大名茶人・松平不昧公こと松江藩七代目藩主・松平治郷もたびたび訪れたという茶室“観月庵”があります。「観月庵及び待合附露地」として松江市指定文化財。
2020年秋の島根県の庭園巡りで初めて訪れました。国指定名勝&国指定重要文化財『菅田庵』、島根県指定文化財『明々庵』と並び、松江城下に残る松平不昧ゆかりの茶室。松江城の大手門跡からは徒歩5分強。城の堀(堀川)がお寺の三方を囲っていて、不昧公も堀川を船に乗って訪れていたとか。
松江城の鬼門である現在地に移転したのは1689年(元禄2年)、三代目藩主・松平綱近の時代。現在も残る山門は堀尾忠晴の下屋敷から移築されたものとされます。
そして観月庵が建立されたのは1801年(享和元年)。その時の普門院の9代目住職・観月庵恵海は“利休七哲”のひとり・細川三斎(細川忠興)を祖とする茶道三斎流の第9代宗匠でもあり、茶道三斎流の家元は今現在も出雲にあります。細川三斎っていうと京都や九州(小倉城や熊本藩)のイメージがあるけど、出雲に伝わっていってたんですねー。
この観月庵は不昧公の信任の厚かった三斎流6代目宗匠・荒井一掌の好みで作られたとされます。“観月庵”の名の通り月を見るために窓(+円窓)が大きくとられ、月が登った際には茶室前の池泉にも名月が映り込み、その光景は不昧公も眺められたとか。
茶室や書院からのぞむ池泉庭園はお寺がこの地に移転した元禄年代に作庭されたものだそうですが、書院と池の間の園路は(江戸時代中期から広まった)“出雲流庭園”といった雰囲気。また観月庵へと至る露地は観月庵造営時に作庭されたという点から、現在の庭園の姿の大枠は江戸時代後期に形作られたものなんだろうと思います。
そして『菅田庵』と同じく京都の名作庭家・七代目小川治兵衛が好んだ、延段(石敷)や沓脱石に丸瓦をアクセントに用いるデザインはこの江戸時代の露地でも見られる。待合も茅葺でいい感じなんですよねー。
観月庵では現在も茶道教室が催されており、かつては小泉八雲ことラフカディオ・ハーンもこの観月庵にお茶を習いに通ったそう。またその他に当地の俳人で“山陰の芭蕉”と言われた山内曲川翁の発願により明治時代に建立された“芭蕉堂”では名工・荒川亀斎の芭蕉像が安置されています。
なお今回訪れた後、2020年12月には茅葺を10年ぶりに葺き替えられたそう。新しくなった茅葺屋根が映える庭園、今後訪れる人はチェック。
(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 松江駅より徒歩20分強
一畑電車北松江線 松江しんじ湖温泉駅より徒歩25分
松江駅より路線バス「裁判所前」「北殿町」「北田町」「南田町」バス停下車 徒歩5分(徒歩10分圏内に多数バス停あり)
〒690-0883 島根県松江市北田町27 MAP