“日本一小さなまち”の、国宝も所蔵する私立美術館に併設する戦後の現代数寄屋風建築と庭園。国登録有形文化財。
正木美術館(旧正木記念邸)庭園について
「正木美術館」(まさきびじゅつかん)は“日本一小さな町”大阪府の忠岡町にある私立美術館。同一敷地内にある創設者・正木孝之の邸宅「正木記念邸」の主屋・中門・腰掛待合が国登録有形文化財。記念邸は土日祝のみ公開。
2021年4月に初めて訪れました。関西には『白鶴美術館』や『香雪美術館』など「近代に財を成した人(企業じゃなく個人寄り)の私設美術館」が多いのがとても興味深く楽しい。この正木美術館もその一環で知って訪れたいと思っていた場所でした。
忠岡で代々庄屋だった名家・正木家。正木孝之の代には工務店や映画館の経営で財を成し、20代の頃から素封家として美術品を収集。そして氏の晩年、1968年(昭和43年)に美術品を広く公開することを目的に美術館が開館。
外観を見ても決して広い美術館ではないのですが、正木美術館は国宝3点・国指定重要文化財13点を含む1,300点を所蔵!中でも充実しているのは日本・中国の水墨画や墨蹟、そして茶の湯関係(茶道具)。京都・大徳寺を開いた大燈国師の墨蹟は国宝、そして雪村、俵屋宗達、本阿弥光悦、松花堂昭乗、松尾芭蕉、尾形乾山…。(あと竹内栖鳳や橋本関雪という“当時の現代作家”も。)
面白いなあと思うのは、近代の財閥は明治維新の後に地位が下がった武家や寺院から美術品を買い集めたのに対し、正木孝之さんは戦後の財閥解体で手放されることになった古美術を収集した人。アート作品/美術品は、栄枯盛衰の中で、価値がわかる人の中で受け継がれて残っていく。
そして隣接する「正木記念邸」とその庭園について。建立されたのは戦後の1949年(昭和24年)〜1952年(昭和27年)。関西に来て色んな“近代和風建築”を見てきたけど、現代まではいかない、戦後の数寄屋風建築を見たのって実はそんなに記憶がないなと思った。
吉田五十八の『四君子苑』や村野藤吾の『旧佐伯邸』はモダニズムの香りがするけど、この正木邸はまだ戦前の匂いがする…んだけど廊下の屋根とかは近代じゃなく現代って感じ。面白いなあと思うところだらけなんだけど、前述の通り正木孝之は工務店も経営していたし学校で専攻していたのもそっち系、だからこの邸宅も茶室も本人の設計!
忠岡は堺に近いこともあり、茶の湯の文化が町に根付いていたのだそう。正木孝之も武者小路千家流の茶人で、号は“滴凍”。読みは“てきとう”でいいのかな…良い名前(笑)
庭にある中門は官休庵と同じ編笠門。庭園は茶室“滴凍庵”へと至る露地庭で、これはほんまもんかな…?と思わせる伽藍石などの飛び石が配されています。主屋の沓脱石がオリエンタルなデザインが彫られたものなのがまた面白い。広くて目立つ庭園ではないけど、ここ好きだなあ。
美術館のパネルに「え、こんな人が来たの?」と思うような世界の大物の来場が説明されてたんだけど(関空からのアクセスが良いから?)…失念。行かれた際に見てみてください。今回見た企画展『和歌と墨蹟』も見応えあった。また別の企画展見に行きたい。
(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)